涼しくなって来たので、次シーズン(2014年冬)の薪でも準備しようと、予め伐採して積んであった丸太の山に接近。
何かに引っ張られたように、瞬間的に目が合う。
蛇だ。
山の生活では「迂闊に」という事は、事故に通ずる。
幸いな事、蛇は青大将の幼いもの。
青大将は殺さない、田舎生活の暗黙のルール。
この蛇は比較的大きくなり、ネズミを捕食してくれる。
地元の老人は、屋敷神様と崇める。
「住む」という字を分解すると、人が主となる。
主であって全ではない。
人が全という漢字は無いはず。
「栓」の漢字と似ていて、いかにも詰まりそうだ。
住むという事は、主に人間なのだが、その他、八百万(やおいよろず)の生物が共に生息する。
生物=自然=神 農耕を営んだ日本人の根底の感覚。
都会で自転車1台を止めようとすると、お店から主(あるじ)が出てきて、「困る」という。
駅の近くだと、「放置自転車禁止」の看板。
本当に、息が詰まりそうだ。
栗の木が、実を落とす。
東信で採れるキノコの代表的なヌメリイグチが、顔を出す。
しかし、今年も、また、見送り。
人間の食糧は、物流が生み出しているのではない。
食糧は自然が育む。
自己の立場の立ち位置が特殊だと、簡単に見間違う。
見間違った瞬間に、事故に遭う。
蛇がマムシだったら、
それに気付かなかったら、
事故は今年も引きずって、山の幸は、食べられない。