穀物を粉に挽くには、昔から石臼という調理器があります。
その日暮のような我が家の台所には残念ながら石臼がなく、代用として擂り鉢を持ち出して、先日採れたばかりの小麦を小麦粉に加工しようと始めました。
穀物は「食糧」という漢字を当てられるだけの価値があり、2〜3年越しでも食料として十分に通用する、「複数年の計」で運用されなければならない食品が、「その日暮し」の台所に入り込んだのですから、そうは簡単に問屋が卸してくれませんでした。
苦戦する5厘頭、自分の体の使い方も分からないようで、擂り鉢が遠いのです。
擂り鉢を足の裏で確り掴み自分の体に引寄せ、擂粉木に体重が掛からなければ、堅い穀物を擂り潰すことは出来ません。
さながら、ストレッチと筋トレと食品加工を同時にやっているのですから、充実した正調のお休みの過ごし方です。
ぐずつく天気を幸いな事に、朝から晩まで家族で擂り鉢に向かい、5合の小麦を擂り潰すことが精一杯でした。
人間の力とは儚い、食糧を見ながら1日掛かっても家族1食分の加工も出来ないのです。
篩(フルイ)に掛ける、PC変換時に常用外でした。
漢字が常用外なら、やっている事も常用外なのですね。
とりあえず、わずかですがニューボな小麦粉が手に入りました。
雨が上がった夕方に畑に足を運びました。
我が家で採れたトウモロコシ、不細工なヤツが皮を剥いています。
当然この時点では、茹でる為のお鍋は火に掛かっています。
画像に写っているトウモロコシの主が、先日に行われた地区の行事で振舞われたパンを一口喰らい、
「まずい」
とのたまった。
私は勿体無いから全部食べろと促しましたが、その主は、
「自然の恵みという味がしない。太陽を蓄えた甘味のような旨みのようなものがない。食べるに値しない味だ。」
と反論してきました。
仕舞にその主は
「そんな言うなら、自分で食べれば良いじゃん。」
私は自分の腹がゴミ箱でなないので、丁重にお断りを致しました。
上に出ている画像のままの純白な小麦では足りずに、篩(フルイ)を目荒なものに変えて全粒粉の状態で、子供達のリクエストのピッツッアの製作に突入です。
我が家の台所、神々しいシステムキッチンはございませんが、「台」がありますので複数人がピッツッアを捏ねる事は可能でございます。
画像、右上のピッツッアは自家オーガニック菜園製トマトを鷹の爪と煮崩したソースの上に、これまた自家オーガニック菜園のズッキーニを薄くスライスしたものをふんだんに載せたものです。
実は小麦には種類があり、その中に「シラネ」だったり「ハルユタカ」あるいは「ライ」などがあるのですが、流通という金銭主体の流れに乗っている小麦粉は自己を表示する権利も棄てています。
表示すらしていないのですから、「食品偽造」より低レベルの問題ですな。
小麦粉が思うように出来なかったから言うのではありませんが、「質」の確かなものを身体に必要なだけ食す。
それで十分です。