かれこれ10年も前にお話です。
フィレンツェから郊外へドライブしていた途中に、チンクエチェントのハンドルを握っていたイタリア人の知人が、
「あそこの建物、ぼくが生まれて間もなく建った。」
彼はそう言った後に、口を一文字に結び肩を軽く揚げました。
そこには小規模な開発の新興住宅地が広がっていました。
日本人の私の目からは景観に配慮した統一感の採れた低層の住宅が、田園の風景をバックにひっそりと佇んでいました。
それでも、伝統を重んじるイタリア気質の彼には目の上のタンコブに映っていたことでしょう。
文化地理学の中に年齢地理学という分野があります。残念ながら日本では教育レベルでも教えてられていませんし、当然の事に都市計画にも採り入れられていません。
年齢地理学とは、その風景がどれ位の時間蓄積があるかを測定する学問です。
例えば、先程のドライブ中に目にした新興住宅地は25年の時間蓄積があります。その周りに広がる田園の風景は少なくとも7〜800年の時間蓄積はあるでしょう。また、山岳部にある集落の中には2000年の時間蓄積のあるカステロも見受けられます。
その様な風景の時間蓄積を測定していく事が年齢地理学です。
この学問は何に役立つのでしょうか?
一般的に時間蓄積の少ない風景は見る人の気持ちを疲れさせます。それとは反対に、時間蓄積のある風景は見る者の心を和ませます。時間蓄積の感じられる風景は、人間の営みを感じさせ、深い歴史を感じさせ、そこに身を浸すという安定感を感じるのだと思います。
日本民族とは、利休が手掛けたという待庵の無量観を「美しい」と感じる、繊細な感覚の持ち主だと思っていました。無量観・無常観・儚さを、時には自分の命に重ね合わせ、死を愉しむほどの懐の深さを感じていました。
この頃の軽井沢を見回しますと、北欧風・南仏風・アジアン風・英国風・サンタフェ風とかなりにぎやかなものです。そこに工法は北米式の2×4で、プランは中国の家相や風水まで採り入れ、本当に国際色豊かなものとなっております。
今、作り出される軽井沢の景観も時間蓄積によって、人々の心を潤す豊かな風景となる事を願っております。