間もなく取り壊されるという情報を得て見学に行きました。
途中で直されたアルミサッシが無愛想に輝いています。
アウトレットや新道・旧道は人波でごった返している終わりの近い夏の日、解体が報じられた後もこの建物の廻りには人影もありませんでした。
軽井沢町の「移築保存はしない」との判断は、正確なマーケティングの結果だったのでしょうか。
深山荘は1942年に会員制の貸別荘として建築された木造一部3階建ての洋館です。
玉音放送が流される5日前に、ポツダム宣言受諾を連合国側にこの建物から打電した歴史の重要なシーンを担った建物です。
その当時、この建物は強制疎開で中立国のスイス公使館として使用されていました。
玉音放送が1945年8月15日、ポツダム宣言受諾をこの建物から打電されたのは8月10日です。
そのタイムラグが5日間、強制疎開で各国の公使館が疎開していた軽井沢では、ポツダム宣言受諾の打電を知った各国の公使館ではパーティが行われたそうです。
日本中で敗戦をいち早く知ったのは軽井沢の住民でした。