杜の言の葉

マイペース家族が軽井沢の片隅で
繰り広げる生活の断片を気ままに綴ります。

 

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投稿者:ryou
かしわさん、ホント足場が有ってよかったことでしょう。>施工中の工務店さん

足場は激しく変形していました。
人間が巻き込まれなくてよかった。

別荘地での中高木の管理は必須ですね。
投稿者:ryou
GIGIさん、ta_tsuさん、私がアヴァンギャルドの意を茶化して話がそれて失礼いたしました。
バウハウスは紛れもなくアヴァンギャルドで、それを基にモダニズムが地球を回った。
それを純粋に掘り下げようという人もいれば、見た目だけ真似るケースも。

芸術と工芸の違いは?

見た目はまるっきり同じ、健全なさわらと根を傷められたさわら。

風倒木になることが見える人とその下で一日中仕事をしている人。

ほんのわずかな違い。

投稿者:かしわ
いやはや見事なサワラのエルボーですね。
足場で止まる辺りがせめてもの情けか?
足場が無ければ家真っ二つが見られましたね。
投稿者:taZ8
アヴァンギャルドって言葉の定義が難しいかも。僕は落水莊とか好きです。バウハウスのデザインも大好きです。デザインが機能の一部であることってのは、自分が大学で一番最初に覚えたことだし(笑)。

『家=生活を楽しむ道具』って定義は、住む人が楽しめればなんでもありということだとおもいます。GIGIさんが熱く語られている棲む側の熱さってのは、ここかなと。だから作り手である建築家と使い手である施主のコラボレーションこそが大事ですよね。

僕らの仕事も同じで、クライアントとしのぎを削って物を作り上げていきます。だから出来たものはクライアントの自慢の一品でもあり、自分たちクリエイティブの自慢の一品でもあるんだと。

続きは、こんどお茶でもしながらはなしましょー。
投稿者:GIGI
昔のアヴァンギャルドな建築は、その根底にしっかりとした生活環境、都市環境、そして自然環境に対する哲学や概念が存在していたと思います。それがベースとしてしっかりあった上で、建築をどこに昇華させていくかがあった。それは形態であったり、素材であったり、構造であったり…。
そして生活様式の変化に伴ってドイツのバウハウスという流れが生まれる。ある意味それまでの環境から比べるとバウハウスもまたアヴァンギャルドであると私は思います。

が、しかし現在の住宅等の流れを見ているとアヴァンギャルドといえるものでは到底なく、ある意味建築家の自慰的なところが多いのでは。
世界のアヴァンギャルドなものは、もっとすばらしい!中身(箱物の内部ではなく、建築する側とそれを受け入れる側)が厚い、熱い。

となんか重くなってしまったのでここで止めます。
私は何に対してもヴィジョン(ストーリ)が必要なのではと常にそう思ってます。
あしからず。
投稿者:ryou
ta_tsuさん、好きなんです。ta_tsuさんの持論。
よくブラウン管の中から頭の良さそうなタレントさんが住宅を見て「生活感が無くて素敵!」とノタマイマスが、あれは、「走らないスポーツカーが素敵!」「切れない包丁が素敵!」「荷物を積めないトラックが素敵!」と同じことかなと思っています。
生活している家で生活臭の無い家ってなんでしょうね。
道具としたら「使い込まれて美しい!」だと私も思います。

「あるある問題」で、バラエティ番組が取り上げる内容を鵜呑みにする人が多い事に驚きました。
もしかしてタレントさんが言った「生活感の無い家」を鵜呑みにして家を建てられる方もいるのでしょうかね?


>すぐに時間に淘汰されてしまうと信じてます

この辺りがアヴァンギャルドたる由縁ですか。
投稿者:ryou
GIGIさん、「表層的」よく分かります。
フェイクまで落とし表現したならとても失礼だと思うのですが、そんな薫り高き建物は沢山見ることが出来ます。


>「ここは住宅展示場?」

安易な建物を提供する建築のプロって悲しいですね。
利益を上げられればプロなのか?
家だけではなく食品もそう、世間では法ギリギリまでやって利益を稼ぐ事がもてはやされているからしょうがないでしょう。
あとは施主さんや食べる人がチョイスする時代ですね。
投稿者:ryou
monejiijiさん、

>外から間取りを想像したりして・・

物騒な世の中ですから泥棒と間違えられない様に気を付けて散歩して下さい。


風倒木、表面的には天災に見えますが、根の先を切ってしまった明らかな人災です。
日曜の夕方に真ん中の子と散歩中に発見したのですが、風に煽られ木の下に出来た地面のひびを確認した途端に子供は察したらしく、私にも再三の避難勧告を発令してきました。
実際、地面がパクパクしているのを見れば鳥肌が立つほどに気持ちの悪いものです。
しかし、火曜日の未明の倒れるまで放置したということは、おそらく次の日の月曜日はその現場の職人さんたちは倒木方向直下で一日中、仕事をしていた事でしょう。
なんと素晴らしき鈍感力!
(私の現場ではありません)
投稿者:ta_tsu
芸術としてのアーキテクトと生活の道具としての建物が一緒だとは、私には思えないのです。私はアーティストだったことは一度もなく、クリエイティブだと思ってきました。創造者であって芸術家ではないんですよね。自分の作ってきたものは、音楽だろうが広告だろうがすべて作品ではなく道具。音楽は余暇を楽しんでいただくための道具であり、広告は物の価値を正しく魅力的に消費者に届けるための道具。

自分にとっての家も、暮らしを楽しむための道具ですね。

なので道具としてのデザインを伴わない、薄っぺらな芸術性を主張したものは、すぐに時間に淘汰されてしまうと信じてます。そして、モダンたるものの真髄はここらにあるんじゃないかと思う昨今です。
投稿者:GIGI
>当然、建物に芸術性を追求する人々は稀に見る裕福層であり、・・・。

これがまた問題!昔の裕福層はモノの価値をしっかり知っていた。だからいまでもその建築物や芸術が残っている。でも今の裕福層は、どうなんでしょう?と疑問が残ることが多い。とても表層的で、哲学がない。
先日長倉の某所を車で通ったのですが、「ここは住宅展示場?」といった具合。レイモンドや吉村さんの頃とは明らかに違う。確かに金はかかってそうだけど…。厚みがない…。
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