材木座海岸から望むと防波堤のようにみえる岩礁が「和賀江嶋」の遺跡である。現存する我が国最古の築港遺跡として国指定史跡になっている。
神奈川県教育委員会による説明文を読むと、当時の僧侶が携わって完成したとある。建設を発起したのではなく、築港後の管理も彼らが代々行ってきたらしい。当時の首都鎌倉の海の玄関口として、港はさぞ賑わい、港が生み出す莫大な利益も想像に難くない。こうしてあがった利益を政府機関ではなく、宗務機関が担っていたとは、信じられない思いである。当時の記録を読むと、飢饉と疫病で民は苦しんでいたとある。忍び寄る末法思想の影響下にあって、人々を苦悩から救う存在としての宗教家の責務を放棄し、幕府に近い権力者として「坊主丸儲け」をしていたことは間違いない。



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