生麦事件のあと、イギリスは鹿児島湾に艦隊を派遣して薩摩藩を攻撃する。いわゆる「薩英戦争」である。薩摩藩も善戦したが、天保山に築かれた西洋式砲台は占拠され、そして薩摩藩の近代工場を備えた集成館も含め、市内施設は徹底的に破壊された。
今の天保山は鹿児島市内でも有数の住宅地であり、その一角に天保山公園が設置されている。公園には坂本竜馬新婚の碑、共月亭、砲台跡などがある。<08/06/29>



天保山公園内にあるあずまや共月亭(きょうげつてい)は、1982年10月に鹿児島市が中国の長沙市と友好都市になったことを記念して、中国四大名亭のひとつ「愛晩亭」をモデルに1984年5月に着工、1985年2月に竣工した。柱や釉薬瓦、花崗岩などはいずれも長沙市から寄贈されたもの。鹿児島と長沙とは1,700キロメートルほど離れているが、両市民が同じ月を眺め友好を深めよう、という意で「共月」と名が付けられた。1986年以降、中秋の名月にはお月見会が催される。

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