例えばロック・ファンと一括りにしたところで色んなロック・ファンが居るのであって、皆がロック好きという旗の下で集えるわけでは無い。アモンデュールが世界で一番好き!ってゆーひとと、オレンジレンジが世界で一番好き!ってゆーひととは、矢張り根本的に理解しあえない関係にあるのだ。何で?ふたりともロックが大好きなのにねぇ。
今日の作業も一段落がつき、我慢していた煙草を喫おうと、作業場を抜けて憩いのサロンへ行く。しかし嫌煙者への配慮で、憩いのサロン内では喫煙は許されていない。だから喫煙者はサロンの隅、パネルで仕切られた狭い喫煙所の中へと入る。昔、僕の友だちがまだ作業場に居て、連れ立ってこの喫煙所を利用していた頃には、僕等はそこで相互理解を深め、煙草をふかしながら有意義な話も沢山したものだが、だいぶ前に友だちはここから別の作業場へと出て行ってしまった。今では喫煙所に行っても有意義な話の出来る相手など一人も居ない。
そして今そこにはアライさんが居る。マイルドセブン・メンソールとか毒にも薬にもならんようなしょーもない煙草を喫って、携帯電話に内蔵されたテレビ・ゲームか何かをやっている、この男がアライさんだ。顔かたちは醜悪だし、服装のセンスも最低で、そして彼こそは作業場を取り仕切る長であり、僕の上司にあたる人間である。だから彼が嫌な奴だという事を僕は知っている。小学生のいじめっ子がそのままおっさんになった感じで、知能の低い者が社会的権力を持つと碌な事にならんという見本のような人間、それがアライさんである。
一応「やぁどうも」と挨拶は交わすが、お互い話す事など何も無いので、僕は煙草に火を着けると文庫本を取り出して無言で読み耽ることにする。
僕の喫っていた一本目の煙草が燃えつきた頃、テレビ・ゲームに飽いてしまって手持ち無沙汰になったのか、突然「なに読んでんの?」とアライさんが話し掛けて来る。
あ、なんかやな感じだな、と僕は思うが、無視するわけにもいかんので、「こんなんですよ」と文庫本の表紙をめくって表題を彼に向ける。
読んでいたのはティプトリーの短編集で、それを見ると彼は「へぇ、SF好きなんだ」とかやけに馴れ馴れしい。
「まぁ好きってゆーか、最近よく読みますね。SFお好きなんですか?」
「あー、俺は高校生の頃SF作家になりたかったくらいだからね。そのへんのやつは大体読んだよね」
前述のように嫌な奴なので、アライさんは作業場の中でも嫌われ者である。といっても、無視される、とか露骨ないじめに遭う、とかそういう嫌われ方では無くて、皆が彼の間の悪い振舞い、単純な性格、不遜な態度、容姿のまずさを嘲笑いながら、でも身分的には皆よりも彼の方が偉いものだから、何か話し掛けられたりした場合にも、その嘲笑を表には出さずに適当な相槌を打ったりして彼との会話をやり過ごす。だからアライさんは皆とまともな会話が出来ない。大抵は彼が一方的に喋り続け、「あ、すいません、時間なんで」とか言って、相手の方がアライさんとの会話を打ち切ってそそくさと離れて行ってしまう。そんな彼だから、一冊の文庫本をきっかけとして、僕と話すネタが出来たのが嬉しいのだろう、話しながらアライさんが上気しているのが僕に伝わる。
可哀想だな、と、思った。何だかそんなアライさんの境遇が可哀想に思えてきて、「あ、すいません、時間なんで」とか言わずに、もう少し会話を続けてやろうかな、と思った。
「へぇ、じゃあSF詳しいんですね。最近僕はラファティとか、スタージョンとかが好きなんですよ」
「ラファティ?知らないなぁ、それは読んでないや。スタージョンってサイバーパンクのひとだっけ?違うか。グイン・サーガとかは読まないの?」
「はっ?ああ…読まないですねぇ。あれってSFですか?」
「うーん、まぁどっちかってゆーとファンタジーになるのかな?俺はあーゆーの好きなんだよね、剣と魔法の世界、みたいなの。どう?」
「いやぁ…まぁ、あんまり好きじゃないですかね。オズの魔法使いとか、子供向けのファンタジーは好きなんですけど、騎士とかが出て来るやつはどうも…うーん。えーっと、SFですよね?僕はSFってゆっても、ヴォネガットとかブラッドベリとかそっちですから」
「あー、そっちかぁ。俺はほら、世界観がしっかりしてないのは駄目なんだよね。ブラッドベリとかって何か抽象的で、科学的な設定とかが弱いでしょ。読んでるとイライラしてくるんだよね」
「はー、そーすか…世界観っすか」
「うん、ヴォネガットも少し読んだけど、何かぐちゃぐちゃでわけわかんなかったなぁ。あれ読んでると頭おかしくなっちゃうよ…あ、グイン・サーガ読んでみる?ウチに百巻まであるよ、貸してあげようか?」
「いや、結構です…」
「…」
「…あ、すいません、そろそろ時間なんで」
結局僕は皆と同じように、僕の側からアライさんとの会話を打ち切り、喫煙所から少し早めに作業場へと戻った。矢張りどんなに頑張っても、例えSFという共通の基盤があったとしても、絶対に理解しあえない人間というのは居るものだ、と思いながら、サロンの廊下を抜けつつそっと今出て来た喫煙所を見やると、アライさんが少し淋しそうに、再び携帯電話をいじってマイルドセブン・メンソールに火を着けているのがパネルの隙間から見えていた。