黒い絵本

2007/10/19 | 投稿者: losthouse

レイプする人がいたりレイプされる人がいたり、幼児をバラバラにする人がいたりバラバラにされる幼児がいたり、そんな現実の中でレイプするわけでもレイプされるわけでも幼児をバラバラにするわけでも幼児であるわけでも無い彼のような人間にとって、小学校に入学して直ぐの頃、午後の陽光に照らされた図書室の風景がことあるごとに思い出されるというのは、一冊の絵本がそこに有ったからだった。

それは表紙からページからすべてが真っ黒な絵本で、黒い帽子を被り黒い服を着た少年と黒猫が主人公で、両親が出掛けたあとの家の中を、少年と黒猫が歩き回る話だった。家には今までみた事の無かった部屋が沢山あって、ルソーのジャングルのような部屋とか、「昨日会った人と明日会う人が待機してる部屋」とか、迷路のような部屋の数々を旅する謎めいた絵本だった。
なんでそんな絵本が図書室に有ったのか解らないけど、その黒いページに描かれた何処となく陰気で禍々しい絵の数々に彼はすっかり夢中になってしまって、七歳くらいで転校してしまうまで、放課後毎日のように図書室に通っては、その絵本を眺めていたのだ。

それっきり忘れていた筈なのに、何がきっかけだったのか、ふと記憶が甦ったのは彼が二十歳くらいの時だった。
あの黒い絵本をもう一度読みたいと思ったけれど、物語や画面は克明に覚えているのに、肝心なタイトルや作者の名前がさっぱりわからない。学校の図書室に有ったくらいだから有名な本なのかな、と思って、少し詳しそうな人に訊いてみてもまるで見当がつかなかった。

二十五歳を過ぎた頃、彼は焼子という女性と暮らすようになった。焼子は絵本を書いて自費出版していて、ささやかな絵本のコレクションも所有していたが、その中に彼の黒い絵本は含まれていなかった。彼は記憶の中に浮かぶ絵を真似して描いてみたりして、こんな絵本を知らないだろうか、と出会った頃の焼子に訊ねたことがあるが、絵が拙かったのか、彼女は何も答えてはくれなかった。
スパゲッティの茹で加減とか、化粧水の蓋をきちんと閉めないとか、換気扇の掃除をどちらがするかとか、浮気をしたかしないかとか、色んな事情が重なって焼子とは長く続かなかった。

三十歳を過ぎた頃、時間潰しに入った喫茶店で、彼は重大な発見をする。
喫茶店の書棚にあった今江祥智の昔の著作、日本の絵本作家を紹介する評論集を何の気無しにぱらぱらとめくっていると、ページの端に描かれたカットに目が吸い寄せられた。つばの広い帽子を目深に被った、暗い陰を背負った少女が立っている。あの黒い絵本の主人公と同じ暗さで、同じ角度で立っている。
ひょっとして、と思い更にページをめくると、そのカットを描いた画家は上野紀子という人だと解った。上野紀子は中江嘉男という人と共作で何冊もの絵本を出版しているらしく、その中には「ねずみくんのチョッキ」のようなメジャーなものから、シュールレアリスムに影響された自費出版のものまで、多岐に渡っているらしい。

まさか「ねずみくんのチョッキ」と同じ人が描いているとは俄には信じられなかったが、これは間違いないと思った。彼はその日走るようにして家に帰ると、インターネットで上野紀子の名前を検索してみたのだ。

出た。あった。間違いない。これだ。この人たちが書いたのがあの黒い絵本だ。

そして、あの黒い絵本は、
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「扉の国」というタイトルだった。

「扉の国」は勿論既に絶版だったが、更にインターネットで調べてみると、通信販売で売っている古書店があった。だいぶプレミアの付いた値段だったのだけれど、彼はなんの迷いも無く即座に購入した。

更に「扉の国のチコ」という、まるで「扉の国」の続編のような新刊も出ていることを知り、こちらは次の日に書店で購入した。

二十数年の時を越え、彼は真っ黒なページをめくる。帽子で瞳を隠した少年と少女が、部屋から部屋へ、ページからページへ、時を跨いで行きつ戻りつしている。
毎日のように読んでいた小学生の頃には、この後姿の老人が瀧口修造だったなんて知る由も無かった。「これだよ、これが前に話してた本だよ」と言って焼子にも見せてやりたいと思ったが、彼女は去年肺癌で死んだと人伝てに聞いた。




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