仮面の日記

2006/9/17 | 投稿者: losthouse

愛するものが約束を違えたり裏切ったりするもんだから精神が落ち込んで調子が悪い。
作業も煮詰まり、もう何をどうして良いのか解らなくなり、いっそすべて止めてしまえ、俺は娯楽に生きる、いまこの瞬間だけを見つめて、快楽にのみ生きる刹那的な俺、って感じのコスプレで、娯楽っつっても本か映画くらいしか思いつかないしこの状態で文字はとても読めないのでビジュアル世代の子供たちとしてレンタルビデオ屋で娯楽を求めて眉間に皺を寄せて物色。
でも世の中に映画は数あれど、純粋に娯楽だけを追い求めたようなものって意外に少なかったりするんだな、どんなに馬鹿馬鹿しそうな映画でも、途中で生きるってなんだ、とか人間とは、とか言い出されたらかなわん。そーゆーテーマが一切排された作品を求めるうちに、子供番組のコーナーへふらふら入ってしまって、あっ、これじゃん、これこれ、つって借りたのが「仮面の忍者 赤影」のDVDでござった。

アジトへ戻って寝転がって、生きる気力ゼロの姿勢で観ていると、これが異様に面白くって刮目、生きる気力がむくむく湧いて来た。
赤影、青影、白影、甲賀幻妖斎、金目教、傀儡甚内、闇姫、千年蟇、ギヤマンの鐘、大まんじ、ペドロ、大泉滉、里見浩太朗などなど総天然色のいろいろに励まされ、こんなに面白いのに67年の番組だって。67年といえばザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンドがデビューした頃、つまり「ウルトラセブン」の頃だなぁ、と思って、昨今では特撮テレビ映画といえばそのはじまりは「ウルトラQ」なんて円谷プロの歴史とイクォールに語られることが多くてやっぱりそれは良くない、「アゴン」とか「マリンコング」とか「恐怖のミイラ」を忘れてはいけないし、「赤影」の前年66年にはウルトラシリーズとともに東映では「悪魔くん」、ピープロでは「マグマ大使」が製作されて放映されていたのだから、それらも含めてひとまとまりってゆーか、アーティスティックな円谷作品よりも、東映とかピープロの泥臭い、駄菓子屋のおもちゃみたいなB級番組こそが当時の子供たちの心を鷲掴みにしていたんではないだろーか、と当時の子供でもないのに考えて、「赤影」なんてほんと馬鹿馬鹿しくてしょーもないジャリ番組を、いい大人たちが大枚を投じて真剣につくっていたこと、そんな心根が美しくて感激する。

観終わって夜。あーすんげぇおもしろかったぁ、と満足して、やっぱ忍者いいな、忍者おもしれぇな、ってひとりでつぶやきながら横山光輝の漫画を引っ張り出して読んで余韻に浸っていたりしたらいつの間にか一日が終わる。
ざまぁみろ、今日は純粋に娯楽にだけ生きてやったぞ、なーんもしなかったぜ、とほくそ笑んで深夜祝杯をあげていると、「生活も娯楽も捨てて修行僧のように暮らし、芸術にだけ生き、夭折した世界一ストイックな画家」のはなしを友だちから聞かされて、また落ち込む。




※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。
コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL





AutoPage最新お知らせ