飴屋日記

2006/6/23 | 投稿者: losthouse

古屋兎丸「ライチ光クラブ」を読む。

「ライチ光クラブ」ってきいて、東京グランギニョルのあれか、ってすぐ理解るひとはオサトが知れる。
かくいう僕もそのオサトが知れるひとの一人で、東京グランギニョルって劇団が活躍していた頃はまだ小学生だったのだけど、恥ずかしながらスターリンと丸尾末広が好きなサブカル少年だったので、お芝居を観たことは無くても雑誌で名前や写真をたびたび見ていて、かっこいーなー、なんつってた。
今は遠い1980年代のはなしである。

で、21世紀のいま漫画になって、「ライチ光クラブ」は売られている。
耽美、少年、機械、いまとなっては幾分恥ずかしいサブカル的タームが、やっぱり現代に漫画にするからには批評的にパロディとして機能しているのだろう、と想像していたのだけれど、読んでみたら思いっきりマジであるのに吃驚した。
青林堂チックでペヨトル工房チックなあの感じを、かなり本気でぐいぐい描き込んでいて、想像していた軽さとのギャップに面食らうとともに、いろいろと過ぎ去ったこと、事柄ってゆーんじゃなくて、空気感とか、こういうことにわくわくしていた自分の精神を思い出して。

たとえば「ライチ光クラブ」のモチーフでもある楳図かずお「わたしは真悟」は、1980年代当時まだスピリッツに連載中で、産業用ロボットが意識を持つ!なんて凄い漫画だ、とわくわくしていたのは勿論なんだけど、スピリッツで「わたしは真悟」を読む、読んでいるってことが僕にはちょっとお洒落な感じに思えていたことなんか今からしてみれば信じられない。でしょ?

で、「ライチ光クラブ」を読んでみて、果たしてここまでこういうことを本気で描いた漫画が現代の少年少女に受け入れられるんだろうか、ということが気になってインターネットで調査してみたら、あいや、専ら少女たちが、登場するどの少年が一番好きか、とかコスプレするならどれか、といった話題でだいぶん盛り上がっていたのであった。
時代は巡っても変わらないものはあるもんだ。




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