2021/10/14

境界を越えるバス/旧国境編その1  バス

多分、このシリーズは、今回のを含めて3本だて?で収まる模様です^^;;

境界を越えるバス/旧国境編その1
相模・武蔵国境その1、横浜・横須賀市境

神奈川県でも、川崎市と横浜市の西の方1/3ぐらい?は、武蔵国でした。で、横浜市の残りと横須賀市・鎌倉市・逗子市以西が相模国です。今回は、旧国境だった尾根が海に落ちる地点なので、これまでと違って、川ではないです。

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相模・武蔵国境を越える "文15"系統
追浜車庫発野島経由金沢文庫駅行

どこが国境なのか、というと、1枚目の画像でバスがさしかかろうとしている交差点のところ、2枚目の画像でバスの尻尾あたり、道路の舗装がちょっとだけ変わる境目です、、、って、判るかいっ!!^^;;

ぶっちゃけ、市境の標識もくそもない(!?)ので、ネット上の各種地図でアタリをつけ、現地の状況を見て詳細を確定させている状態です。

実のところ、この地点のすぐそばに「夕照橋」が架かっていて本土?と野島を結んでおり、このバスもこの橋を通って行くのですが、こちらは手前も向こうも横浜市で旧武蔵国です。

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夕照橋の全景と野島
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夕照橋を渡る"文15"系統のバス(見えにくい)

元々、野島は陸続きだったらしいのですが、繋がっていたのは夕照橋が架かっているのとは違う面?であった模様で、ここは昔から海だったらしいです。詳細情報は調べきっていません(開き直り?)。なので、本土側は大元は久良岐郡六浦荘村ですが、野島側は野島村→金沢村だったそうです。

京急バス追浜車庫への出入りは、他の系統がメインで、"文15"系統は平日が7往復/土休日が駅行7便・車庫行が8便だけです。運行時間帯は朝から夕刻にばらけてますが、偏りが激しいです。捕まえるのが大変です。

ちなみに、取材当日、関東地方の天候は晴れもしくは曇りでしたが、なぜか、取材現場の取材時間は、結構な雨模様、でした。傘は持っていなかったので、ずぶ濡れになりました...(泣)


今回は、バス路線の変遷に関する解説?はありません。不明点が多すぎて書けません(汗)

というわけで、野島・平潟湾周辺の地理?地形の変遷?歴史について、相武国境と絡めて、調べて出てきたことを書き記しておきます。10/15、一部誤りがあったので修正しています。

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野島は元々は島ではなく、北側=現代で野島橋や帰帆橋が架かっている側にて洲崎方面と砂州で繋がっていた。近隣にある八景島とは異なり、自然の地形である。南側は現代では夏島町となっており広大な埋め立て地が工業用地として供用されているが、江戸時代以前は少し離れて夏島という島があった。現代の埋め立て地の中に自然地形でやや高い丘が残っているが、それが島だった時代の名残である。

現代にて金沢八景駅近くまで続く入江、平潟湾の入口は、現代も昔も同様、夕照橋が架かっっている箇所である。平潟湾の入口付近は現代とほぼ同じであるが、湾の内部はかなり広く、奥行も深かった。港としての歴史は古く、鎌倉時代には幕府が置かれた鎌倉の外港として栄えた。

一番奥の部分は江戸時代から始まった干拓により徐々に陸地化されていて、泥亀(でいき)新田→現在の泥亀町となっている。→現在の泥亀町の他、横浜市立大や総合車両所がある辺りまでの広い領域が該当するらしいが、詳細は不詳である。現代の六浦町・六浦東町はおおむね昔からの陸地であるがの方面にも入江が広がっており平らな部分が概ね海であったが、柳町の部分は昭和40年代に入ってから平潟湾の一部を埋め立てた(1966年完成)エリアである。(←元々「平潟湾」だった範囲と、陸地化された時期について間違えていました。この辺りは不詳な点が多いままです。)

平潟湾の出口、野島と夏島の間は、横須賀に海軍の鎮守府が置かれたこともあり、明治時代以降、夏島側から軍用地として埋め立てられた結果、野島と繋がった。この時に野島の北側に開削されたのが野島運河である。船の往来の便を図って、野島水路として残された部分もあったが、土砂が堆積したこともあって、1966年には一度閉鎖された。この時に野島の北側に開削されたのが野島運河である。(←野島運河の開削時期を勘違いしていましたm(_ _)m)

ちなみに夏島の埋め立て地は、第二次世界大戦後は米国海軍に接収されていた。返還されたのが1972年である。その後に、横須賀市と横浜市の境目をどこにするかで、紛争が勃発していたらしい。詳しくは、「野島・夏島問題」として仲裁に入った神奈川県による書籍が発行されている模様。興味のある方は参照されたい。

その後、1994年に入ってから野島水路が復活。横須賀市と横浜市の境目も野島水路の東寄りの位置に落ち着いて、現在に至る。


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とまあ、野島を含めた金沢八景付近の地形の変遷については、調べれば調べるほど色々出てくるので、適当なところで収集つけました。興味のある方は深堀してみると良いかも?

おまけ

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現場付近の別な道?でみかけた、市境標識。ここは旧国境と合致。
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その標識付近の国境稜線の尾根末端遠景。階段がほぼ国境っぽい。





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