2021/9/26

境界を越えるバス/都県境編その1  バス

毎回関東地方の外れまで行ってると何かと大変なので、少々近場のネタも混ぜつつ、シリーズを進める予定です。

境界を越えるバス/都県境編その1
東京都/神奈川県境六郷橋


箱根駅伝でもお馴染みのこの橋、渡る路線バスは"空51"系統の川崎駅〜羽田空港線がメインで、終日30分間隔で運転されています。空港連絡バスですが、六郷橋を東京都側に渡った後は、南六郷や元羽田などの昔からの住宅街を走ります。

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六郷橋を渡る"空51"系統羽田空港行


これ以外では、その枝線&区間運転といえる、"川76"森ケ崎線と"川77"羽田車庫出入庫便があり、前者は朝夕の限られた時間帯に6往復、後者は朝の出庫/夜の入庫で数便あるだけです。
実は"川76"系統がこれら路線の元祖で、空港連絡バスは後からできた上、開設当初は空港までノンストップだったのですが(その時代に乗った記憶はある。高速道路はつかってなかったと思う)、大田区内で各停になった後、森ケ崎線の本数が減らされていった、とか。


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都県境の標識と橋の全景

大きな橋なので、両岸ともバス停は遠いです。

なお、江戸時代までさかのぼると橋の両岸共に武蔵国であったため、都県境であるものの旧国境ではありません。その当時から荏原郡(現在の品川区・目黒区・大田区・世田谷区の東側)と橘樹郡(川崎市の大部分と横浜市の東部の辺り)の境目でした。現代でこそ川を渡れば東京23区ですが、江戸の街の入口である品川宿までは二里半の道のりでした。


以下、例によって現場界隈の調査報告?です。長いのはいつものこと?

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六郷橋の周辺も含め、多摩川は下流域の数十kmにわたって東京都と神奈川県の県境をなしている。これは明治初期の廃藩置県・府県の統廃合により東京都と神奈川県の領域が定まって以降、ほぼそのままの状態で継承されている。1912(明治45)年に「東京府神奈川県境界変更に関する法律」の施行により、それ以前に行われた多摩川の流路直線化工事によって発生してしまったと思われる飛地を解消したのが唯一の例である。

江戸時代以前はこの辺りの多摩川の両岸はどちらも武蔵国であり、多摩川の下流域は左岸が荏原郡/右岸が橘樹郡であった。江戸の街は二里以上北側の品川宿の界隈までであったが、多摩川を渡った南側すぐの所には、東海道2番目の宿場街川崎宿が設けられていた。

では、何故、多摩川を境に武蔵国を東京都と神奈川県に分けたのか、その理由となると、非常に長くややこしい話になってしまうため、ここでは触れない。というか、書いてる本人も理解しきれていない。あしからず。代わりに、ここに架かっている六郷橋の歴史について、記しておく。

この地の多摩川に最初に橋がかかったのは、1600年のことである。徳川家康が江戸に本拠を構え東海道を整備した際に架橋された。それから百年足らずの間に5回も大水に流されている。最終的に1688年の洪水以降、江戸時代の間は橋を架けるのを諦めてしまったらしい。橋の代替に設置されたのが、有名な「六郷の渡し」である。

時代が下り明治期になると、地元の有力者が私費を投じて1874(明治7)年に左内橋として架橋されたが1878(明治11)年に流されている。ちなみに橋の名前の「左内」は、出資した鈴木左内氏の名前からとられている。1883(明治16)年には地元の人たちが組合を作って費用を集め六郷橋として再度かけられた。1985(明治18)年の大水には耐えて、1900(明治33)年に京浜電気鉄道(現在の京浜急行電鉄)に買収された後、1906(明治39)年には国に譲渡されたが、1910(明治43)年に再度流失している。この時はすぐに仮橋がかけなおされたが、1913(大正2)年に流されてしまっている。

この間の1985(明治18)年、日本で初めて国道という概念が導入された際に、東京日本橋から横浜港に至る道が「1號國道」に指定された。「京濱國道」との通称を持ち、六郷橋を含めたその周辺は旧東海道を踏襲している。それもあって私有だった橋が国有になったと推定され、1910年に流失した際にはすぐさま仮橋が架けられたと思われる。が、1913年に流失した後はどうしていたのか不明である。

新たに橋が架け替えられたのは一連の「1號國道改修事業」による。1918(大正7)年に神奈川県側から開始され、1920(大正9)年には東京府(当時)内でも開始される。この年に施行された「(旧)道路法」により、六郷橋を含む「京濱國道」の区間は、1號國道のままであるが、区間が東京市(当時)〜神宮(伊勢)までとされた。1923(大正12)年に関東大震災復興事業にも指定された後、1925(大正14)年に六郷橋の架け替えを含む神奈川県側の生麦までの区間の改築事業が完成する。東京府側八ツ山橋〜六郷橋間の改築が完成したのは1927(昭和2)年である。

その後は、バイパスとなる「新京浜国道」こと現在の第2京浜国道が1949(昭和24)年に全通。1952(昭和27)年の「新道路法」施行に伴い、第2京浜が東京日本橋〜大阪梅田新道間の国道1号線の一部となり、京浜国道こと第1京浜は全区間が国道15号線に指定されている。このため、東京〜横浜間の沿道においては「いちこく」というと国道1号線ではなく第1京浜=国道15号線を示し、「にこく」が第2京浜=国道1号線を示す。ただし、現在でも有料道路である「第3京浜」は国道に指定されたのが平成に入ってからであるため「さんこく」とは呼ばれることはない。

増え続ける交通量に対応するため、六郷橋の架け替えが始まったのは1979(昭和54)年である。1984(昭和59)年に一部供用開始、1987(昭和62)年に全面供用開始したが、拡幅も含めてすべての工事が完了し現在の姿になったのは1997(平成9)年のことである。


ここまで読んでくださった方への御礼、というわけでもないのですが、おまけの画像を貼っておきます。

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六郷橋南詰の旧東海道品川宿入口
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同所にある六郷橋駅跡地を行く京急大師線の電車
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北詰の公園に保管されている旧六郷橋のゲート
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北詰の側道合流点のカオス?な道路案内標識





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