最初の記事では述べなかったが、私自身新潟に住む者であり、本日午前8時〜夕方までほぼ新潟県内で大規模な停電が発生した。
どうせ数時間後に復旧するだろう、と思っていたが、ほぼ日中内復旧しなかったために、日頃の事前準備の重要性を再認識させられた。
私の住んでいる地域では18時20分頃に復電したが、22時30分頃に30秒ほどの停電が2回発生したものの、まだ完全ではないかもしれないため、深夜に停電する可能性も避けられないと思われる。
この記事を書き込んでいるときも、まだ新潟県内の一部で停電があるような雰囲気であり、私としても早急の完全な復電を願いたい。
・初めて聞いた音
今まではっきりとした停電はなかったので、家の電話の非常時着信音を初めて聞いた。
停電になったからといっても、ナンバーディスプレイ及び留守番電話、コードレス電話の機能だけが使えないだけで、親機から普通に固定電話としてちゃんと発着信は可能である。
私の家の近くに京ぽんの基地局があるものの、停電のためにマイクロセル基地局の内蔵蓄電池の電源に切り替わったためか、かなり出力が低下しており、接続が非常に不安定だったものの、何とか京ぽんから家の電話へ電話をかけてみて、停電だからダメモトで着信音がちゃんと鳴るかどうかを確認したが、いつもと違う着信音であり、「ピルルルルルッ」という感じの、芯が細く、甲高い音がした。
3回ほど電話がかかってきたものの、状況によって着信音が非常に聞こえにくかった。
・テレビは…
私自身、ポケットテレビを所有しているため、テレビで状況を確認して新潟県全域で停電と言うことを知った。
ラジオと比較してテレビは電力消費が大きいため、あまり長時間見ることはできないが、復電するちょっと前に一部チャンネルで電波状況がひどく不安定になっており、画面が映ったり、ザーとなったりを繰り返したため、おそらく送信所の非常用電源容量が低下したことによるものかもしれない。
一番驚いたのが、新潟市内での材木店の大火事をポケットテレビで見たときは背筋がゾクゾクときた。
・周辺の会社、工場は…
妹2人が午前中一杯で家に帰ってきており、電力依存型の職場が多くなってきたことによる影響かもしれない。
停電がこれほど長期間に及び、且つ作業の続行が困難になった結果、工場が稼動できなくなったことに伴い、事実上別の日に振り替え、休日扱いになったと思われる。
・そんな状況下、私はどうしたか…
ADSLモデム及びブロードバンドルータが使用できないので、パソコンを起動することは敢えて断念し、ブログの最初の書き込みは何とか接続が不安定な中、何とか接続したが、敢えて大事な連絡がいつ来ても良いように、京ぽんでネットブラウズをしようとは思わなかった。
ひたすらポケットテレビ及びラジオで情報を入手しつつ、こんな状況下だからこそ、日中の明るいときには
セブンアンドワイで購入し、まだ読んでいなかった本を楽しんでいた。
どんな本を購入したかは具体的な題名は敢えてここでは紹介は避けたいと思う。
・夕方になって…
辺りがひどく暗くなってきた18時頃、町がやや明るくなったような感じがしたため、復電への時間が近づいてきたことを実感した。
ようやく復電し、父親が忘年会のために私が送迎した後、家に戻るときにコンビニに寄ったとき、単一、単二型電池がほとんど売り切れ、おにぎりや弁当などが完全に売り切れになっていた。
そして携帯電話の簡易充電器までも全体的に品薄になっていた。
今まで停電と言っても、ここまで長期間に及ぶ大停電は初めてだった。
停電でなければ、年賀状作成などを考えていたが、いくらノートパソコンをバッテリで稼動すれば、と思っても、2時間前後しか持たないバッテリを浪費するよりはおとなしく復電を待ったほうが良かったような感じがした。