モノスタ'70さんのお誘いで、竣工引き渡しの終わったM市の保育園を見学に行ってきました。

な。なんという……外観。一見すると郊外型のカフェかヘアーサロン風。従来の保育園の記号性が見事に排除されています。黒く塗られた木質壁の躯体は、二つの片流れ屋根が向かい合ってその間に白い箱がはまり込む。後でみるけど、これが園庭側まで、つまりこの建物の反対側まで突き抜けているのです。二つの黒相似形に白い箱がかっぽり……。うーんコンストラクティブ。

で、これが玄関。

ウッドデッキの緩いスロープを通って建物に吸い込まれる子どもたち(イメージ)。驚いたことに、この玄関。段差無しです。靴脱ぎエリアはちゃんとあって、靴箱やら、傘立てやらもある。けれど、上がり框なし。地続きに、室内床材のナラのフローリング(桐油仕上)になる。

今のところ材の色味の違いで区別できるけど。このシームレス境界線が、子どもたちによってどんなふうに侵犯されていくのか……。これ、建築家としての挑戦ですよね?外部と内部の曖昧化。強烈な惑乱要因としての子ども。
そして、内部。
ウヒャヒャ!随所にモノスタ’70のカホリがフンプン。

あ。でも肝心のところを写真に撮ってないわ。

このキャワいいトイレ。こんな小さな便器があるなんて知らんかった。コンパートメントじゃないんだよここ。わし、ここ使えない。木のトイレですよ!!キャ〜〜。メンテナンス!とか言ってたら建築を楽しめません。

一見すると、登梁で、天井張らずにさらに梁が水平に等間隔に並ぶ、非常に見通しのよい、緩やかにつながったオープン&モノスペースのようですが。実は、パーテーションはかなり厳密につけてあります。ガラスのしきりなので、仕切り感がないだけです。子どもの学齢毎に区切られています。これは法令で定められているそうです。私は単純に、小さい子どもはうるさいから、三歳以上(幼稚園指導要領準拠)エリアと区切ってあるもんだと思っていました。違うみたい。

建物の中心線に向かい合って開いた天窓から、春の雨上がりのすっきりした空がのぞきます。実に自然な採光。夏は……ちょっと暑いかな。直射日光というのではなく、雰囲気で明るい採光になっているですしました。朝日とかは入るかな?

子どもたちのエネルギーが入ると、もっと違う雰囲気になるんだろうな。今はまだ、その熱を持たない静かな佇まいです。とにかく、保育園というのは、お昼寝のときをのぞいて絶えず子どもたちの発散する熱と音で満ち満ちていますからね。多分それは夜になっても休みの日でも、建物のどこかに残響として残っているようなですします。
お邪魔しました〜〜と、モノスタユーキ専務(?役職なんでしたっけ?)に玄関まで送ってもらってから、
園庭に足を踏み入れました。

道路側と相似形の園庭側の外観。四角い箱。こっちにももちろんあります。この箱部分に、いろいろな仕掛けがあるのよね〜〜。あ。これも写真撮ってない。ちなみに、この箱は、道路側と庭側。白いのが二つ。実は真ん中に、もう一つ焦げ茶のがあるんです〜〜。写真撮ってないけど〜〜。これが、またモノスタアーキ社長のこだわりのデザイン。外壁の焦げ茶(黒に近い)がそのままサッシを貫通して内側に入り込んでいるのです。お約束です!にやにやしてしまいました。

既存植栽の青桐の並木。これは夏にはかなりのヴォリュームになって、子どもたちにたっぷりの緑陰をもたらしてくれます。葉っぱも大きくていろいろ遊べそう。その向こうの竹やぶも涼やかです。蚊はいっぱい飛んでくると思うけど。

幼稚園や保育園にとって【庭】は本質的な意味を持っていますよね。だって、なんで幼稚【園】、保育【園】なのか。もちろん幼児教育や保育を学んだそこの君なら、フレーベルがどんなふうに幼稚園を作ったかを知っているものね。エデンの園なんだもの。そこは。ただの遊びの場ではなく、神とともに、神に近しい子どもたちがさまざまな「もの」や「こと」を生成する【場】ですものね。大人になって汚れると、私たちはもうこの【園】には戻って来れないのです。【失楽園】なのです。
さてさて。これからここで、どんな新しい【意味】が生成していくのでしょうか?

あれ?
もうこんなすてきな【生成物】があるぞ?これは一体?箕面の森からリスさんがやってきてくれました。ちょっと早く来すぎて、寒かったんでしょうか、固まってしまっています。こんな姿で、子どもたちを待っています。
モノスタ’70さま。お招きありがとうございました。
もうすぐけぶるがごとく【桜】の季節がやってきます。