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投稿者:bonpata
ほんとうに!惣右衛門さんのような古典研究者の葛藤
とあらがいの中に希望はあると思うんですよ〜(っ
て、すげー失礼ですね、大研究者に)。

『千と千尋』の惣右衛門さんの実践は、重層的に示唆
的だと思うんです。古典教育論として。それは、素材
そのものが学習者がアクセスでき、かつそれ自体で値
打ちを持ち、かつ古典文学における異界譚としての教
材性を持っている。素材そのものの教材としての魅力
と可能性です。それを古典学習として位置づけること
ができると、とっても面白いと思うんです。しかも
ね。『千と千尋』は単なる取っ付きやすい導入の出発
伝だけではなく、着地点でもあるし、『千と千尋』を
読むために古典文学を資料として使うという転倒もあ
り得る(惣右衛門さんの読みはまさにそうですよね)
魅力的な教材です。
もう一つの示唆は、異界としての『古典文学』への参
入と探求、意味付け、帰還(生活化)という学習モデ
ルが、まさに『千と千尋』という一つのメディアテク
ストによって象徴的に表明されていること。つまり古
典学習過程のモデルになるってこと。

どうですかね。
>惣右衛門さん。論文書きましょ〜よ〜。『千と千尋
と古典文学教育』タイトルまで決めました。ささ
……。どこに書きます?共同研究発表します?
いや。書いた方がいいです!
投稿者:惣右衛門
私がやっていることなんてたいしたことないけど、
「ことば」に拘って追究することがどんなに面白い
か、分かるということがどれだけ視野を広くするの
か、日常的に気付かないところで我々がどれだけ古
典的な価値観に拠っているか、というようなことを
明らかにすることで、我々の根源というか、アイデ
ンティティーを浮き彫りにできればと思っているの
ですが、授業の中でどう展開するかとなるとかなり
難しいね。だって、最低限の知識がいるんだもん。
その知識ばかり説明していたら、どうしても一方通
行になってしまう。もっと、学習者が考えることに
参加できる仕組みを作らないといけないのですが、
そうなると、学習者が無条件で面白いと思えるよう
な教材(例えば『千と千尋』のようなもの)を選ぶ
か、もしくは「かえる子さん戦法」のような方法を
とって価値観を揺さぶる方法を考えないといけない。
要は、最初のハードルをどうやって越えさせるかだ
よね。で、最初のハードルさえ越えてくれれば、次
のハードルまでは走ってくれそうな気がするのです
が…。(簡単ではないけど)

古典は死に絶えるか…。少なくとも教師側が教えら
れないなら、死ぬでしょう。間違いなく。
投稿者:bonpata
なんか古典教育槍玉に挙げて攻撃!みたいな言い方に
なってしまいました。すみません。関心のある領域な
んで。
>惣エモンさん。でもあの発表を惣エモンさんが聞か
れたら、多分複雑な気分になったと思います。私以上
に。古典文学研究としてコメントすることと、その外
側に、古典文学教材開発(つまり国語教育研究)とし
ての外装がかぶさっていて、そのレベルで何かコメン
トをすることと、二つの異なったレベルの間で困惑さ
れるような気がします。それは実は日々惣エモンさん
が直面している揺らめきかの知れません。とすっごく
偉そうなことを言って……すみません。えっと、多
分、古典文学のワールドの値打ちを追求することと、
それをそれにおそらく興味を持っていない人に伝えよ
うとすることとの間のギャップ、断絶を日常的に感じ
つつ、それに引き裂きや葛藤を感じておられると思う
のです。その葛藤や引裂の感覚は、すごく大事で、古
典教育を考えるということは、ほとんどその感覚から
すべての問題意識が生まれてくると、私は思っていま
す。
発表した彼らの中に、もしそれとの向き合いがあった
なら、同じ材料でやろうとしても、多分少し違ったこ
とばが生まれてきたように思います。これは制度の問
題なんだろうと思いますけど。本来古典文学研究であ
るものを、教育学のプレゼンテーションのコンテクス
トに埋め込むための、ちょっとした味付け、外装です
というにおいがして、フロアからはかなり厳しい意見
が出ました。そして、それに対して最後まで何を問題
にされているのか?ということについての発表者と質
問者の間の共通理解が得られないという、もどかしい
展開でもありました。
古典教材と、子どもたちの間をつなぐ教材開発の取り
組みが、急務だと思います。
投稿者:惣右衛門
耳が痛いな。古典教育はハードルが高い。そして、ハードルを越えようとする内的な必然性がない人々にとっては、越える努力もしない。当然だよね。
先人が残した文化や伝統は、今の我々に何をもたらすのか。知的好奇心か?それもある。だけど、それだけではない。我々の理解のあり方や、存在の根源に迫る問題だということを、今この時に提示できないと日本の文化そのものが死ぬわな。

柿喰らふ家

2006.7 竣工

ルナ

Car Life 87-96

○'82 DAIHATU Charade1000 Diesel Turbo 1987-1988.1.5

○'85 TOYOTA Starlet1300Ri(EP71) 1988-1991

○'91 DAIHATU Charade1300 1991-1996

Car Life 96-

○'96 VW POLO 1600 4AT 1996-2001

○'89 Golf GTI-16V 1800 5MT 2000-2004

○'01 Polo GTI 1600 5MT 2001-2007.9.25

○RENAULT Kangoo 1600 5MT  2007.9.25-

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