6月14日(日)の産経新聞には、日曜経済講座として論説委員の岩崎慶市氏が「開業医の収入を減らすべきだ」と書いている。あいかわらずですねぇ。壊れたテープレコーダー(たとえが古っ)みたい。
記事は次のとおり。
【日曜経済講座】論説委員・岩崎慶市 開業医と勤務医の診療報酬配分
http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/090614/fnc0906140841007-n1.htm
2009.6.14【産経新聞】
■納税者の視点で見直せ
来年度が医師の人件費に当たる診療報酬改定年とあって、早くも日本医師会などが医師不足解消を理由に大幅引き上げ論を展開している。国民に分かりにくい診療報酬の仕組みを検証し、そのあり方を考えてみたい。
◆医師会の主張は正当か
国民医療費は高齢化の急進展で10年後には20兆円も増加し、56兆円に達すると見込まれている。その財源内訳は現在、保険料が49%、税金が37%である。患者負担は14%だから、大半をまかなっている国民負担が急増することになる。
では、使途はどうかというと、ちょうど50%の16・5兆円が医師などの人件費、21%の7・1兆円が医薬品、残りが医療材料、光熱費などである。医師などの人件費、つまり診療報酬には多額の税金が注ぎ込まれていることを、まず国民は認識せねばならない。
同じように税金を財源とする公務員給与と比べるとどうか。前回のデフレ局面以降、診療報酬の引き下げ幅は民間準拠を建前とする国家公務員給与のそれよりはるかに小さかった。いや、2年前の改定では逆に引き上げられたのだった。
民間は今、急激な景気落ち込みにより給与削減だけでなく雇用不安にも直面している。そうした中で医師の給与をさらに上げよ、という主張を納税者が簡単に納得できるだろうか。
◆医師不足の本質は偏在
医師不足解消という大義名分も説得力に欠ける。すでにこの2年間で医学部定員は1割以上も増員され、医師会が求めていた医師数は確保される。だが、これで医師不足は解消されまい。問題の本質は別にあるからだ。
それは多くの識者が言うように病院勤務医と開業医、地方と都市部、産婦人科と内科など診療科の間にある偏在である。その構造を支えているのが診療報酬のいびつな配分であり、ここを大胆に見直さない限り、医師数を増やしても偏在は拡大するだけだろう。
例えば勤務医と開業医の年収格差はグラフを見れば明らかだ。勤務医の1415万円に対して個人開業医は2804万円とその差は2倍だ。医師会調査でも勤務医が開業医になりたい主な理由は「激務が給料に反映されない」だった。
これについて医師会は税金や借入金返済などを差し引くと、平均年齢59歳の個人開業医の手取り年収は1469万円だと反論する。勤務医だって税引き前の数字だし、借入金についても一般の会計手法とは違っている。
何よりこの理屈はサラリーマンに理解しがたいだろう。開業医には定年がない。医師会はサラリーマンには退職金があるというが、多くはそこから住宅ローンを完済し、残りを老後の蓄えとする。開業医は週休2・5日、時間外診療も往診もほとんどせずに、この高報酬をずっと維持できるのだ。
◆米の報酬体系は真逆
他の先進国はどうか。米国でも医師の高報酬が問題になっている。今春、米社会保障庁を訪ねたら、「医師会がロビー活動団体の登録をするなど、政治力が強くて報酬を下げられない」と頭を抱えていた。ただ、その報酬体系は表が示すように日本と真逆だった。
日本の開業医に似た家庭医の年間報酬を1とした場合、勤務状況が厳しく訴訟も多い産科は1・44、高度医療の放射線介入診断が2・44など、専門性が高く勤務が厳しい診療科ほど報酬が高い。報酬体系としてはこれが常識だろう。
日本も優遇されすぎた開業医の診療報酬を大胆に削り、その分を不足する勤務医や診療科に配分すれば、診療報酬全体を上げなくても医師不足はかなり是正される。それができないのは、配分を決める中央社会保険医療協議会(中医協)に問題があるからだ。
中医協はかつて改革が行われ、公益委員や健保団体の代表もいるにはいる。だが、開業医を中心とする医師会の影響力が依然として圧倒的だ。大胆な配分見直しを断行するには、納税者が納得できるような別の機関か中医協を主導する場が必要なのではないか。
さらに、医師には教育段階から多額の税金を投入している以上、配置規制も考えねばならない。米国は専門医制度での資格取得で診療科間の調整を行うし、ドイツでは保険医(開業医)開業に対し地域や診療科ごとに定員規制を設けている。日本ほど自由な国はないのだ。
もちろん、欧米とは制度の成り立ちが違うから、診療報酬体系も配置規制も単純に比較はできない。しかし、納税者の視点を欠いた護送船団的“医療村”だけに任せておいては、医師不足解消も国民負担抑制もままなるまい。
(記事ここまで)
岩崎慶市産経新聞論説委員の記事は、
一昨年11月にも取り上げたことがあった。この人の論調は、1年半以上たっても変わらない。この人は、先頃建議を出して自民党内からもかなりの反発を受けている「財政制度等審議会」のメンバーでもある。これを世論操作と言わずに何という。
なぜ診療報酬にいちいち「医師などの人件費」との解説をつけるのか。診療報酬イコール医者の懐に入るお金という自分のイメージを、世の中の人にも共有してほしいからではないのかな?新聞で書くなら、もうすこし客観的に書いてほしいものだ。これを世論操作と言わずに何という。
開業医には定年がないから「いつまでも稼ぎたい放題」のような書き方をする。仕事を定年退職させられてその後は働き口がない人は、定年がない医師を恨めしく思って下さいねという意味だろうか。これを世論操作と言わずに何という。他の国と同様に、平均59歳の開業医が60歳とか65歳とかで全員やめたら、日本の医師不足はあっという間に壊滅的なレベルに達するだろう。
診療報酬決定の仕組みにしても、中医協の中で日本医師会が強大な力を誇っていた時代はとっくに終わっている。そんなことは、
1年半前の記事で岩崎氏自身が書いた「医師会の主張は5.7%という大幅な引き上げ」だったのに対して、実際には本体部分がわずか0.38%の引き上げ、全体ではマイナスに終わったことでも明らかである。それをさらに無力化しようというこの言論を、世論操作と言わずに何という。
米国やドイツの良い点を見倣おうというのは、一見良さそうに見えるが、しかしその基盤となる環境が日本とは全く違う。米国とは高齢化割合も医療の単価が決まる仕組みも全く違う。また、日本の開業医が医師人生の一つのゴールであるのに対し、米国では成績上位の者が専門医に、下位の者が家庭医や老年医になる傾向が強いと聞いている。単純に比較すべきでないと自分で書いておきながら、そのようなことは書かない。
ドイツはGDPに占める医療費の割合が日本よりかなり多く、日本で同じ仕組みを作るには医師の犠牲をさらに増やさなければならない。早急に「医師は奴隷であるべき」と全国民を洗脳できれば成功するかもしれない。しかしそれには世論操作程度では力が足りない。日本のマスコミは独裁者並みの力を持っているらしいから、不可能ではないかもしれないが。
岩崎氏は、日本の医師数が他の国に比べて大幅に少ないことを言わない。それを言えば、自説の説得力が薄まり、世論操作に不利だからだろう。日本の医療費が他の国に比べて少ないことも言わない。世論操作の邪魔だからだろう。診療報酬には多額の税金が注ぎ込まれていると書くが、それをやめれば米国のような「金の切れ目が命の切れ目」になることは書かない。その程度の言説だ。
医療を「護送」してくれている勢力など、どこにいるのか。すでに潰れるところが出てきている開業医の収入を削ったって、勤務医が潤う前に、老朽化した病院の設備更新などで消えてしまうだろう。すでに医療従事者は追い込まれて「八方塞がり」な気分の中で働いている人が多い。いや、八方塞がりでも中で頑張っていればまだいい。追い込めば追い込むほど、医療の中にとどまって日本国民の幸せのために頑張ろうという人の数は減る一方なのではないか。勤務医が逃げ出す先であるはずの診療所(開業医)数は、2007年には横ばい、2008年は減少に転じているのが現状だ。
岩崎氏が誰かのためではなく本当に「経済のためには医療費を抑制し、中でも開業医の報酬を大きく削減すべき」と思っているのなら、どうやっても岩崎氏の考えを帰るのは無理なような気がする。「妄想」と同じ類に思えるからだ。妄想を他人が訂正することはできない。岩崎氏の頭の中の妄想は仕方がないこととして、それを「正しいこと」として新聞の活字にする行為は、頼むからまわりの誰かが止めてほしい。