「看護師の就職戦線は「売り手市場」になっている。東大病院は先日、来春採用予定の看護師数を新卒・中途合わせて300人とすることを発表した。そのための求人活動を地方にも手を広げておこなっている」という記事が、河北新報に載っていた。
首都圏の病院“攻勢” 看護師の争奪戦も過熱 秋田
地方の病院が医師だけでなく、看護師の確保にも危機感を募らせている。全国の国立大学病院などが、医療制度改革に伴い高度医療を支えるスタッフの充実を図ろうと、来春採用の看護師を大量に募集しているからだ。“超売り手市場”の中、都市と地方の看護師争奪戦は一段と過熱しそうだ。(河北新報8月25日)
医師不足については
8月9日の記事に書いた。看護師も、いろいろな理由で全体に不足している。例えば8月14日の共同通信は次のような記事を出している。
20代の新人看護職は21%が勤務先を変えたり離職し、そのうち最初の職場から3年以内に離れた人が63%に上ることが日本看護協会の調査で分かった。「転居」や「結婚」などが理由となっているものも含まれるが、看護協会は早期離職を防止するための支援・教育体制の整備に取り組みたいとしている。
調査は昨年10、11月に看護師、保健師、助産師など約1万1500人に郵送で実施。5688人が回答した。
このうち20代の回答者を見ると、勤め先が変わった人が17・2%で離職が3・5%。3年以内に転職した人に理由(複数回答)を尋ねたところ「他の職場(医療機関)への興味」が29%で最も多く、「転居」(21%)、「結婚」(13%)と続く。3年以内の離職の理由は、進学(29%)、出産・育児(24%)の順。(共同通信社)
ここには職場を変えたり離職する看護師が多いことは書かれているが、その理由については深く考察することを避けている。病院の看護師というのは、結構きつい仕事だ。これから看護師になろうという人が見たらやる気を削がれてしまうような実態だ。なので、一通り書いたあとで、読みたくない人は読まなくてもすむように下の方に置いておく。読みたい人だけ読んで欲しい。
河北新報の今日の記事に戻る。
背景には、医療制度改革がある。4月から、看護師を手厚く配置した医療機関の診療報酬が上がり、看護師を増員する大学病院などが急増している。
東大病院は、来春採用予定の看護師数を新卒・中途合わせて300人と設定した。例年の約2.5倍増しで、採用試験も初めて、仙台市など地方都市で行う。
同病院の櫛山博事務部長は「敷居が高いと思われている面もあり、直接出向き、お願いしないと確保できない。地方の学生は地元意識が強いようだが、スキルアップしたいという人に訴えたい」と力を込める。
「売り手市場」というのは、就職先がいくらでも選び放題なことだけを言うのだろうか。ここに書かれている東大病院の魅力のキーワードは「スキルアップ」である。秋田の看護学生にとっては「東京に出て働ける」というのも魅力だろう。しかし、本来なら引く手あまたの資格や技術を持った人に対する「売り手市場」というのは、報酬の面でも釣り上げ交渉できるのが、経済の原則である。現実にはそうはなっていない。
今年4月に行われた診療報酬改定は、看護師の数が充足していないと極端に診療報酬が減る。つまり、看護師を地方に行って「狩り」をしてこないと、病院がつぶれてしまいかねない診療報酬設定なのである。看護師数を確保できた病院は一息つけるが、たくさん雇うのだから一人一人に多額の給料を払うわけにはいかない。売り手市場とはいっても、東京に出てくれば破格の給与が支払われるわけではない。支払われるならそれもニュースになるはずだ。給与の面では決して売り手市場は成立していない。
病院側も工夫を凝らす。中通総合病院(秋田市)は今年の採用試験は筆記をやめ、面接と作文のみにした。担当者は「人件費を増やしてでも増員して高い診療報酬を得ないと、経営の観点からも厳しい」と打ち明ける。とある。
結局求められているのは頭数(あたまかず)だけで、資質や技術が求められているわけではないことがよくわかる。
修学旅行とテレビでしか東京を見たことがないような看護学生に「東京で働きませんか?」と魅力的な言葉で呼びかけて、ごっそり連れていかれれば地方の看護師不足はますます進み、病院は低い診療報酬しか得られなくなる。低い診療報酬の設定は、「潰れろ」といっているレベルの診療報酬であることは報道されていないが、最も高い入院基本料がもらえる7:1看護体制とその次の10:1では、入院患者一人について約2割の差がつけられており、金額に直すと1日に2,860円の差がある。500床の病院であれば、毎日143万円の差になる。1ヶ月で4,000万円以上の差だ。しかしこの基準を満たすための人手を確保すれば、人件費も増大する。職場は提供できるが、十分な給料を保証できるような制度ではない。
東京の病院や大学病院でなくても、地方の病院でも魅力ある職場であれば、看護師数を集めることはできるだろう。看護師数が集められれば、一番いいランクの7:1看護体制が取れる。7:1が取れれば、他の病院より少し人員的に余裕のある環境で働けるし、良い看護が提供できるから患者さんからの評判も良く、患者数も確保できる。一方7:1になれなかった病院はどうなるか。看護師の数が少ないと、同じ人数の患者さんが入院していても収入が少なく、経営にゆとりがなく、アメニティなどと言っている余裕はなくなる。看護師数が少ないため、看護師はいつも忙しくピリピリしている。「こんなきつい仕事やってられない」と看護師はやめていき、看護師不足に拍車がかかる。そんな病院にかかりたい患者さんも徐々に減っていき、病院は立ちゆかなくなる。
このところ矢継ぎ早に繰り出されてくるさまざまな医療政策を見ていると、国は「一時的な医療の偏在と不足は仕方ない。必須の部分は集約し、潰れる病院には潰れてもらう」と考えているのではないかと思う。考えていないとしても、このまま進んでいけば近いうちに必ずそうなる。都会であれば淘汰される医療機関があっても何とかなるかもしれないが、地方では一医療機関が存続できないことはその地域の住民にとって文字通り「死活問題」だったりする。経済的に弱者でなくても、医療が必要な人は住んでいる場所によって弱者になり得るし、なるかならないかは自分ではどうしようもない「運」になってしまう。
日本の医療はこれまで、アクセスのしやすさ、医療の質、医療費の安さを比較的良いバランスで保ってきた。国民皆保険制度がその中心にあったが、医療機関が潰れないようなさまざまな工夫が時代に応じてされていたことも見逃せない。しかし今は違う。政府は医療機関に優しい手をさしのべる時代ではなくなった。その上での今回の改訂では、どんなに経営努力をしても看護師の数が集められないと収入が減り、潰れる方向へのスパイラルへ突入するのである。
医療機関で蓄財をするところは悪徳病院とされてきたから、病院は積極的に検査機器などに設備投資をしてきており、赤字体勢になって持ちこたえられる体力などない。そこに、ここ10年ほどは診療報酬をじわじわと値下げし、何をやっても収益が出ない料金設定を国が強制的に行い、病院の経営状態はどこも綱渡りになった。民間病院はなりふり構っていられないので、金にならない患者は切り捨て放り出さざるを得ない。「民間病院ではあるが公的性格が強い」などの理由で、自治体から補助を繰り入れてもらうところも多い。公立病院は自治体からの繰り入れがあるのが常態化している。しかし各自治体も運営が厳しくなり、医療機関への繰り入れは、軒並み削られていると報道されている。繰り入れを続けているところも「医療がなくなったら困るから、背に腹は代えられん」と、苦しい財政から渋々出しているのが実態だ。政府がこのまま医療イジメ政策を採り続けるなら、もうちょっとで民間も公立も、病院はバタバタ潰れはじめるだろう。
そこで生き残る病院の最低必要条件は、7:1看護を満たす看護師数が確保できていることである。それだけで安泰というわけにはいかないが、国が考える「潰れていい病院」と「潰れないで生き残る病院」の線引きの基準の一つは、この看護体制が確保できるかどうかなのであろう。問題は、国が考える「潰れていい病院」しかない地域もあることだ。そういう地域に住んでいる人は病院が潰れた場合、遠くても「生き残った病院」まで行くか、質の悪い地域の医療で我慢するかしかなくなってしまう。
どうも国は、これからの医療に関して、半ばやけっぱちになっているように見える。いくつかの注目すべき施策も、進めてはいる。しかし、現場の実態もわかり、ある程度広域の医療体制も考えられ、国の予算配分にも口を出せるような実力のある官僚は、一人もいないのだろうか(もちろん「予算配分に口を出せる政治家」を動かせる実力でもいい)。このまま行けば、無策の被害を被る国民の数は、小さい被害も入れれば一千万人を下らない規模になるのではないかと懸念している。
<おまけ>「白衣の天使」の過酷な実態
平均在院日数14日の病棟では、毎日7%の患者が入れ替わる。3日ぶりに夜勤のために病棟に出勤すると、2割は知らない患者だ。約50人の入院患者を、2〜3人の看護師で看なければならない。それぞれの患者について、病名・状態・問題点を把握して勤務に当たるが、完璧に把握することなどできるはずがない。
たとえば一人の患者が廊下で尿をもらし、一人が部屋で軽く転倒して夜勤の2人の看護師がかかりきりになった時に、どこかの部屋で別の患者の息が止まりそうになっていたとする。その時にそれを察知して適切に対応することが可能だろうか。状態に余裕のない患者には、モニターと呼ばれる心臓や呼吸の動きを監視する装置がつけられ、ナース・ステーションで状態が把握できるようになっている。しかし異常を察知するには、その時異常が起きる患者にモニター装置がつけられていて、ナース・ステーションに必ず一人はいないと監視にならない。
看護師全員がナース・ステーションから出払ってしまうようなことはしょっちゅう起こる。先ほどの尿失禁+転倒などは日常茶飯事である。その時にたまたまモニターで大きな異変がつかまえられたとして、誰も見ていないのでは異常を察知できるはずがない。2人しかいないところに2人では対応しきれない事態が起こった場合、対応できなかったことは不可抗力であり、看護師の過失ではない。
ところが実際には、モニターがつけられていた患者の命が終わることになった場合、責任が問われることになる。最近では現場にいた看護師が責任を問われることが増えている。しかし、全ての患者の状態と危険度を把握し、さらに予想外のできごとを察知する超能力を持っていなければ、この状況に対して適切に対応することはできない。これだけの厳しい労働環境に対して払われる対価としては、看護師の給与は少ない。
安定した給与が得られるということで現場に踏みとどまっている看護師はまだ多いが、景気が上向いてきて他の仕事で同じ給与が得られたり、共働きする必要がなくなれば、離職する看護師は激増するだろう。やりがいももちろんあるが、得られる満足感に比べてストレスやプレッシャーが何倍にもなるのでは、魅力ある職場とはとても言えない。