神戸新聞8月12日付け紙面に、次のようなニュースがあった。
「末期肝臓がん患者に独自の「2段階治療」成功 神戸大」
肝臓全体にがんが広がり、中には大きな腫瘍もあり、
「ハーバード大病院で『米国に治療できる病院はない』といわれ、」神戸大学病院で治療を受けたそうである。
同病院の治療は、大きながんのある部位を切除した上で、残りの肝臓に集中的な化学療法を行う「二段階治療」。化学療法では、抗がん剤をカテーテルで肝臓に注入した後、肝静脈から血液を抜き取り、余分な抗がん剤を除去して全身に戻す独自の技術を確立。通常の約十倍の抗がん剤が肝臓に注入できるという。
男性の腫瘍(しゅよう)は、肝臓の広範囲に広がり、肝臓に栄養分を運ぶ門脈の奥の方までふさいでいた。
手術は七月四日に行い、肝臓の七割強や、門脈の腫瘍を取り除いた。同三十日には化学療法を実施。予後は良好で、男性は九月にも米国に帰国する予定という。
この記事では、一貫して「とても喜ばしいこと」という視点で今回の治療を見ており、それ以外の視点は抜け落ちている(あるいは、隠している)。
もちろん、この患者さんの治療がうまくいったことは、とても喜ばしいことである。そのことに異論を挟むつもりはない。肝臓がんと闘っている人、肝臓がんの恐怖と闘っている人には希望の光となるであろう。しかしこの治療法は残念ながら、「誰にでも使える普遍的な治療」ではないことは認識しておく必要がある。
この治療法にどれだけの費用と人手が必要であったかは、どこにも書かれていない。一般の人から見れば、肝臓がんでもう治療はないと言われても「神戸大学病院に行けばこの治療が受けられる」と受け取られるのではないか。しかし費用の面、治療適応の面などから、それは無理だろうと考える。
費用の面でいえば、通常の10倍の抗がん剤投与は、健康保険で認めてくれない。肝臓から出てきた抗がん剤を含む血液から、抗がん剤だけを取り除いて全身に戻すという処置は私は見たことがないが、通常の血液浄化装置を用いた治療と考えても、かなりの費用がかかる。これも保険適用は難しいだろう。少なくなった肝臓の細胞が体を養っていける状態にするには、全身の管理も細かいコントロールを必要とする。全体として、肝移植よりも多い金額がかかっているのではないかと想像する。「高度先進医療」(脚注)にもこの治療法は入っていないので、全額自己負担であろう。この費用はどこから出たのか。
設備面の問題も大きく立ちはだかっている。非常に難しい全身管理を必要とする大きな手術は、どこでもできるものではない。それなりの体制と設備と十分なスタッフがいなければできない。医療の常識から考えれば、肝臓の7割強を切除し、残りの肝臓に強力な抗がん剤治療を行えば、残っている肝臓の力は一時的に生きていくのに必要なレベルを下まわってしまう。その期間をどうやって乗り切るかというと、医療が肝臓の働きを肩代わりするしかない。薬で補える部分もあるが、新鮮凍結血漿という献血から得られる成分も必要になるだろう。新鮮凍結血漿は、現在は大きく不足してはいないが、際限なく使えるわけではない。
患者の体の問題もある。大きな手術と抗がん剤に耐えて残った肝臓が、その人の体を養っていける力が残っていなければ、命が終わってしまう。つまり、病気の部分以外は肝臓もその他の内臓も健康でなければ、この治療に踏み切るのは危険である。日本の場合、肝臓がんになる人の多くは肝硬変を抱えている。もともと肝臓の細胞は再生能力が非常に大きいが、肝硬変の場合は再生する下地の条件が良くないので、大量の抗がん剤で逆に力が落ちたままになってしまう危険性が高い。残る肝臓の機能が期待できない場合、この治療に踏み切るのは遭難覚悟の冒険でしかない。
この治療法を受けたい人が受けられるようにするには何が必要かを考えてみる。
まず、この手術ができる医者は大きく不足している。
「具教授は『他の病院なら手術をあきらめるケース。これまででも一番ハードな手術だった』」とあるように、外科医であれば誰でもできるというものではなく、とても高度な技術を必要とする。しかし
8月9日にも書いたが、日本の医者はあちこちで不足している。高度な技術を持つ医者を増やすより前に、圧倒的に不足している一般診療の医者をどうにか手当てしないと、医療を受けられない人の数が激増する「医療崩壊」はすぐそこまで迫っている。肝臓手術の中でも難しい今回の手術ができる医者が増えてくることは、ほとんど期待できない状況である。
次に設備面。手術に必要な機械も、手術後に必要な全身管理の設備も、今回の手術と術後管理に必要なレベルの設備が揃っているところは大病院に限られる。スタッフの熟練も必要で、その養成には時間と費用がかなりかかる。国は現在「がん診療連携拠点病院」を全国約360の二次医療圏に一つずつ設置する作業を進めているが、この体制を各拠点病院に用意するのは無理だ。各都道府県に1つずつの「都道府県がん診療連携拠点病院」にも無理だろう。全国で数カ所というのが限界ではないか。
最後に、最も大きいのが費用面。今回の治療でどれだけの費用がかかったかは書かれていないが、どんなに少なく見積もっても一千万以下ということはないだろう。肝臓がんになる人は、毎年2万人以上いるといわれている。そのうちのどれだけの人がこの治療が有効な状態になるかわからないが、肝臓がんで「もうこれ以上の治療はない」と言われる人の数を肝臓がんで亡くなる人数と(強引に)イコールと考えると、年間3万人。単純に掛け合わせると三千億円。医療費削減(→医療費抑制→医療費適正化と言葉は変化)が叫ばれて久しいが、「お金がかかる医療を普遍的な医療にしない」のが厚生労働省+財務省の陰の方針だから、どこでも誰でも受けられる医療になることはないだろう。米国に倣って「お金持ちなら受けられる医療」にする手もあるが、私は日本の医療が米国の医療に盲目的に追随することだけは、いろいろ理由があって反対だ。
こう考えてくると、今回の報道はそのまま希望の光とはなりそうにない。それならせめて「誰でもが受けられるわけではないが」程度のコメントは入れてほしかった。
個人的な疑問を一つ。米国で「治療はない」と言われて日本に来たと書いてあるが、米国で肝移植を受けるという選択肢の方が現実的だったのではないか。なぜ日本に来てこの治療を受けたのかという背景は、書かれていない。宗教的な背景があって移植が受けられないのであれば、意図的に隠蔽しているのではないかと疑いたくなる。
最後に用語の間違いを。
「予後は良好で、男性は九月にも米国に帰国する予定という。」とあるが、「予後」は病気の回復の見込みや今後の見通しのことであって、ここでは「経過は良好」とすべきだろう。
他にもいくつかひっかかる点はあるが、患者側、医療側、行政側などの立場によって意見が異なる問題も多いので、今日はこれくらいにしておく。
<脚注>「高度先進医療」について
日本では、健康保険で行う医療と、自己負担で行う医療は、同時におこなってはならない(混合診療の禁止)ことになっている。自己負担部分があれば、通常は保険がきく医療も全額自己負担となる決まりである。高度先進医療とは、主に大学病院で最先端の医療を受けようとした時に、「混合診療の禁止」が治療の妨げにならないように例外を認める仕組みで、昭和59年から始められている。厚生労働省のホームページには、
「高度先進医療は、新しい医療技術の出現や医療に対するニーズの多様化に対応して、先進的な医療技術と一般の保険診療の調整を図る制度です。」と書かれている。高度先進医療と認められた医療を、認められた医療機関(内容によっておこなって良い医療機関が決められている)が行う場合には、保険適用できる部分は健康保険で、それ以外の部分は自費で支払う「混合診療」を認めるという制度。ただし、高度先進医療になっている部分の費用は一般に巨額である。