
なんだかあっという間に、約15年間働いた諏訪中央病院、退職の日になりました。3月は引き継ぎや片付け、4月からの準備などで大変忙しく、ブログの更新も軌道に乗って以降では最少。片付けもどうにか終わり、少し積み残しはあるものの、無事仕事を終えることができました。(〜水曜日外来通院中の方へ〜 水曜日の外来はそのまま続きますのでご心配なく)
ちなみに、写真の花は緩和ケア病棟の送別会でいただいたもの。

いつも通り病院に来て、午前中鎌田名誉院長と一緒に緩和ケア病棟の回診をしました。15年一緒に働いていながら、2人だけの写真を撮った記憶がなかったので(記憶がないだけかもしれませんが)、せっかくなので一緒に回診していた産婦人科の青山先生に写真を撮ってもらいました。
そういえば鎌田先生は昨日まで「ピースボート」に乗って、いろんな人と勉強をしながらイースター島などに行ってきたそうで、帰ってきたばかりです。回診の後の束の間のティータイムでは、おみやげのチョコレートをいただいたりしながら、患者さんも交えて談笑。ちなみに2人の写真を撮ってくれた青山先生は、去年の夏に鎌田先生がピースボートに乗った時に知り合い、その後諏訪中央病院に来てくれた先生です。

その後は事務仕事をしたり、15年分の荷物の最後の片付けをしたり。諏訪中央病院に来てからこれまで付けていた名札です。15年前には一番上のような小さな名札。でもこれでは読みにくいということで、サイズが大きくなりました。上の3つは医長ですが、「内科医長」と「医長(内科)」の違いは何なんでしょうね。
医長の3つ目から、白からクリーム色に微妙に色が変わっていますが、実は材質もやわらかいものに変わりました。赤ちゃんを抱っこした時や患者さんの介助をする時などに、うっかり触れても傷つけたりしないようにという配慮です。その次が主任医長になって、一番下の2つはここ2年の肩書き「部長」。緩和ケアの仕事の他に内科外来にも出るので、一応両方作ってもらいました。こうやって並べてみると、私の歴史の一つの象徴ですね。

今日発売の週刊朝日に載っている鎌田名誉院長の短期集中連載「言葉で治療する」。そこに折しも私のことが少し書かれています
(クリックすると大きくなります。読めない時はもう一度クリック。読みにくい方は書店などでお求め下さい)。鎌田先生の患者さんが痛みで困っていて、私に紹介して楽になって、地元の新聞に投書するぐらい元気になったという話です。鎌田先生の書く文章には、たまに私が出てきますが、これからは出なくなるんだなと思うと、ちょっと淋しい気がしないでもないような。記事には私が辞めることは書いてないので「この緩和ケアの先生に診てもらいたい」と患者さんが諏訪中央病院にやってきたら、どうするんだろう。
諏訪中央病院の緩和ケアは、原先生という先生が引き継いでくれて、これからも続きます。私も水曜日だけは、諏訪中央病院で緩和ケア病棟や一般病棟の患者さんを診たり、午後は今まで通りの外来をしたりしますので、完全な退職というわけではありません。でも机もなければ荷物置き場もない非常勤医師ですので、これまで通りというわけにはいきません。その分次の病院、長野市の愛和病院で頑張りたいと思っています。
長い間お世話になりました。ありがとうございました。これからも諏訪中央病院が地域の人たちにとって「あって良かった、助かった」と思ってもらえる病院であり続けられるよう、力を合わせて頑張ってほしいと思います。