がんになっても、あわてない

 という本(朝日新聞出版)を書いた医者の、なんでもブログ。

 
医療関係者向け資料集「緩和ケア医のらくがき帳」も、よかったらどうぞ。

プロフィール

平方 眞(ひらかたまこと)
 緩和ケア医師
愛和病院(長野市)副院長

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投稿者:町医者
医療において「君子危うきに近寄らず」という姿勢でいることが、どれほど基本的でかつ重要な心構えであるのかというのを知らない者がいる。人体という複雑精妙な、ブラックボックスと言ってもいいものを相手に、手探りで操作を加えることの恐ろしさ。

そして、今は、その結果が不都合であると刑事罰さえ科される。無罪となっても長い長い取り調べと裁判が待っている。あの割りばし訴訟や大野病院事件の、既に無罪が確定した医師に自分をおいてみて下さい(無罪が確定した医師を罵倒し、土下座させたりした者達は、その行為を謝罪したんだろうか?)。
さらに、民事でも、自称医療被害者やその取り巻き連中、まるでハゲタカみたいな弁護士連中のやり方を想像してごらんなさい。また、弱者の味方ずらしたマスコミによるバッシングも。

君子危うきに近寄らずです。
医師、いや医療従事者は肝に銘じておくべきです。今まで以上にです。自分勝手なモンスターがいるというのを肝に銘じておくべきです。
そうしないと、自分だけじゃない、受け持っている患者も含め、家族、従業員、関係者全ての身の破滅です。
投稿者:山本直樹
以下は小松医師の記事からの転載です。
これからの日本の医療の指針を示してくれる人だと思います。


現代の日本では「事実はこうである」という認知よりも、「事実はこうでなければならない」という規範の優先される場面が多くみられます。人を従わせるには規範が有効な場合もあるでしょうが、自然現象に対して「こうでなければならない」と言っても従ってくれません。人の方が自然に合わせるしかないのです。医療は人体という自然現象を相手にしています。現実を無視した規範を社会やメディアから押し付けられたとき、医療者は黙ってその場を去るしかなくなります。もちろん、医療者には全く責任がない、規範も全く必要ないなどと開き直るつもりはありません。問題行動を繰り返す医師、資質に欠ける医師がいることは事実です。このような医師に対して適切に処分を行うことは、多くの国では、プロ集団としての医師の責任とされています。ところが、日本では、医道審議会(実質的には厚生労働省)が処分を決めています。国が一元的に医師の行動を支配すると、とんでもない弊害の生じることがあります。例えば、第二次大戦中、日本やドイツでは国の命令で医師に国家犯罪を強いました。96年まであったことですが、国は、終身刑とも言えるハンセン病患者の隔離政策を、医学的根拠がないことが判明した後も、患者の抵抗や一部の医師の身を挺した反対にもかかわらず、漫然と継続させました。患者に対する国民の強い差別感情、らい予防法という法律、療養所の組織維持が国の行動を縛りました。医療者自らが専門家としての誇りをかけて、自律的に処分を行うよう早急に体制整備するべきです。全医師の加入した団体が医師を処分することは世界的に見ても珍しいことではありません。皆さんも、ぜひ医療者の自律をご支援ください。

投稿者:hirakata
ダガシさま、こんばんは。

 ダガシさまがいわれるように、人のために何かを一生懸命しても結果が悪かった時には、その人を責めないという人ばっかりだったらいいのにな、と思います。でも、今の医療はやらなければいけないことの水準がだいぶ上がってしまっているのでしょうか、医学的にやらなければいけないことを一生懸命やって、しかもその過程や結果を説明するのも医者の役目になってしまっています。結果が悪かった時に、その結果が起きた場所にいた責任者から説明を聞かされても、結果を受け入れられない人には言い訳にしか聞こえないでしょう。

 そうならないようにするには、起きていることが客観的に評価できるように、ビデオで全て記録するとかそういう生々しい方法しかないのかもしれません。もっと人手に余裕があれば、コミュニケーションに時間が割けるのかな、とも思います。

 世の中の医者の多くは、危険を覚悟しながら、でも自分は大丈夫かもしれないと思いつつ、現場から逃げないで頑張っていると思っています。でも一度痛い目にあったり、近くの人が逮捕されたりすれば、自分の身を守りたくなってしまうのも人として当然の心の動きかなとも思います。

 お互いを理解し合うことができる世の中になればいいんでしょうが、なんだかそういうところからは離れて行っているような気がしています。金融危機で「金儲けが何より大事」という価値観が揺らぎ、人と人との信頼関係が重視される世の中にならないかな、なんて漠然と考えています。その方が笑顔で暮らせそうだなと思って。
投稿者:ダガシ
 つい私には、甘い、幼い、考え方があるのです。
 人のために何かを一生懸命した結果、良くない結果になったとしても、それは許されるものだ、という思いです。
 それは誰かが私に対してしてくれて、良くないことになったとしても、私はその人を恨まないですし、ありがとうございましたと思う人間です。ですがただ、あまりにも後先を考えずに、考えなしに、それをするのは勘弁してほしいですが、その線引きがどこかは、自分でもはっきりわかりません。

 こういう私は、「危うきに近寄らない」としている人は、お医者さんという職に就くのはやめていただきたいと思ってしまいます。
 無責任な物言いだとも思いますが、素朴に思うのです。

 どうもhirakataさんのブログにコメントしすぎだと自分でも思っているのに、またついしてしまっているのです(笑)。
投稿者:hirakata
町医者さま、こんばんは。

悪い結果が出た時に、どうすればその結果が避けられたかを考えることは、レベルアップのためには絶対必要です。医学が進歩してきて、医学に求められる水準も上がってきて、昔なら「ここまでやってもらったんだから満足」という同じレベルでも「何か失敗があったのでは」と疑われる時代になってきてしまったということもあるかもしれません。

研鑽を積んでいってベストを尽くしても、悪い結果になることはある。悪い結果が起きれば、逮捕されることもある。逮捕された時に対応を誤れば、間違ったことをしていなくても犯罪者にされることもある。その時のための最低限の心構えを、佐藤先生は説いておられるのだと思います。

裁判員制度の模擬裁判では、犯罪を犯したかどうか疑わしい容疑者が有罪になり、裁判員になった一般人は「すっきりした」という感想でした。感情による処罰にお墨付きが与えられる制度では、検察もそれを狙った起訴をしてくる時代になってしまうのかもしれません。そうなったらますます、危うきに近寄らないのが安全になってしまいそうですね。残念ながら。
投稿者:町医者
結果が悪かった場合、ああすれば良かったかも、こうすれば良かったかもと反省しなければ、自分も医療も進歩しません。それは、自分が失敗したかもしれないという反省です。
でも、今の時代、これが許されなくなってきたってことかもしれないですね。

私も、肝に銘じておきます。
いつ何時、逮捕されるかもしれないんですから。
そして今、一番いい方法は「君子危うきに近寄らず」でしょう。
残念ながら。
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