がんになっても、あわてない

 という本(朝日新聞出版)を書いた医者の、なんでもブログ。

 
医療関係者向け資料集「緩和ケア医のらくがき帳」も、よかったらどうぞ。

プロフィール

平方 眞(ひらかたまこと)
 緩和ケア医師
愛和病院(長野市)副院長

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投稿者:うららか
おはようございます。数日間のブログを読ませて頂いて、伝える時の一言が、議論の内容よりもその伝え方そのものが問題。タガシさん、『ちぇっ、多数側からものを言うのは、ラクだろうなあ』のコメントが問題ですよ。今回は多くの人はそう考えているって事なのであって、あなた側の考えの方は、きっといらっしゃると思います(と、信じています)。
そして、澤田石さんの言葉は本当に現象を整理されているのでとてもわかり易いです。ありがとうございます。この場をお借りして是非、お礼を。余談ですが、裕次郎なみにタバコが似合う方は大好きです。ムツカシイ話題につきましてはこれからもコメント期待しつつ・・、楽しみにしています。
投稿者:澤田石 順
ダガシさん。コメントありがとうございました。
自分は善とは何ぞや、悪とはなんぞやってことで、44才になるまで考えに考えてました。恥ずかしいことに、「絶対」に正しい善悪の定義を書物で知りました。我が敬愛するロマン・ロランがトルストイに問うた手紙への返答にありました。

 人と人とを結びつけることは善であり美である。
 人と人とを離反することは悪であり醜である。

この言葉を私は真と「みなします」。この言葉を知り、自己のあり方を省察して、それてせもこのこー言葉を真とみなさない人がこの世にいるのかもしれません。この言葉を真とみなす人々と私は協業できます。
 この言葉が真か偽かを科学によって明らかにすることは原理的にできません。
 ダガシさんによるhirakataさんのあり方についての批判的検討は決して言下に否定できるものではないし、否定してはならない内容を含んでいます。私はタバコを一日30本すってまして、受動喫煙を極限まで少なくするべく努めてはおりますが、それでも間違いなく私は被害を与えています。でも自分はタバコが好きなので、例え20本1000円になっても止めません。健康のためにタバコをやめるという思想そのものがキライだから。禁煙は決してしないと断固決意しているのです。話がとんでますが、終末期について、自分自身は「治療により治癒できそうもな」肺がんや肺気腫になれば、治療を拒否することを既に決意しています。医療費がもったいないからではないのです。それが好みだから。



http://homepage1.nifty.com/jsawa/medical/
投稿者:ダガシ
ダガシですが、hirakataさん、場所ちょっとだけ借りますね。
 澤田石さん、いつぞやはブログでお世話になりました。勝手に私が思っている恩は、忘れてません。そしてさすが、やっぱり頭いいですね。
 でもですね、今回は言わせてもらうけど、…ちぇっ、多数側からものを言うのは、ラクだろうなあ、です。
 hirakataさん、場所借りました、すみません、なので返信要りません。
投稿者:hirakata
馬場さま、こんばんは。いらっしゃいませ。

最後をどこで迎えるかというのは、その人やまわりの人がいいところでいいと思います。いよいよになってくると、不安も増えたりするし思いがけない症状も出てきたりするので、何が何でも家がいいとか病院でなければみたいな決めつけよりは、状況に合わせて良い方を選ぶ方が合理的です。それを選べるようにしておくのが大変ですが。

日本の病院の「お部屋代」は、米国に比べるとかわいいものです。米国のお部屋代のチャージとか、麻酔科医のチャージ、救急外来ベッドの時間あたりチャージなど「なんじゃそりゃ」という値段です。日本の料金は良心的ではありますが、それを医療費に入れてしまうから、入院医療は高いという評価になってしまうのでしょう。合理性でいえば、散らばっている患者さんのご自宅を回るより、患者さんを集めた方が合理的に医療が提供できるはずですから。

「医療費抑制」「社会保障費抑制」という方針は、ある程度のレベルまでは正当性が認められますが、それを越えて抑制してしまうと、医療を受ける人だけでなくその周りの人や将来医療が必要になる人を不安に陥れる要因になります。日本は全体で見て、だいぶ前に越えてしまったのではないかと思います。何とかなる程度に収まってくれていればいいんですけど、手遅れかもしれません。
投稿者:馬場
はじめまして。福岡の馬場と申します。

hirakata様の在宅医療へのご献身に深く敬意を表させていただきます。亡父を癌で見送ったとき、終末期を自宅で過ごさせていただきました。本人にも家族ににも深い慰めになりました。最後の最後は病院で看取ることになりましたが、在宅でのケアをしていただいたお医者様の理解とご尽力には、今でも深く感謝しております。

なお、在宅医療は「濃厚医療」にはまったく当たらないと考えます。濃厚医療を構成するものは、最新の医療機器の「使用料」(及び高価な医薬品)であり、病院のベッドを占用することへの代価であります。米国では一流ホテルに泊まってもいいから退院してくれと言われます。病院の「宿泊費」はそれほどに高額なものであり、そのあたりの事情は日本でも同じです。現に診療報酬体系もそうなっています。在宅医療を進めることは医師や看護師への適正な往診料を支払ったとしても、「在院医療」より遙かに総医療費の節約につながるものです。また「病院」という希少な社会資源の有効利用につながるものだと考えます。

「どこまでの医療を行うのか」ということは本当に難しい問題でありますが、「最後までお医者様が全力を尽くしてくれる」という意識は、この国の「住みやすさ」を深いところで支えている気がします。医療に対する信頼が失われた社会は、立ち行かないと思います。
投稿者:hirakata
澤田石 順さま、おはようございます。

整理していただき、ありがとうございます。そりゃそうだなあ、と思います。

私のコメントは、十分整理されていないこと(頭の中が整理されていない状態で書いたので当然ですが)が、よくわかります。

もうひとつ、煮え切らない書き方になるのは、ダガシさまの考え方は極論ではありますが、「絶対なし」とも言い切れない、そういう社会のあり方も、考え方としては「あり」かなあと思う部分が、私にとってはあるからなのかもしれません。

仕事柄なのかもともとの性格なのか、相手の人の主張を否定するということが、ほとんどないのが私の特性だろうと思います。否定することが苦手といった方がいいかもしれません。緩和ケアの現場だと、相手(特に患者さん)の意見が常識から離れていても、それを受け止めた方がうまくいくことが多く、そのようなところが私の態度にも影響しているのかなと、時々感じます。

ダガシさまのような考え方の人が集まって社会を形成したとしたら、社会として成立するのは難しいだろうな、とは思います。そこに、別の強力なシステムなり強制力を持った人なりが存在しない限り。
投稿者:澤田石 順
▼原理原則からの批判を展開しよう
 ダガシ氏個人を批判するより高い立場で、「そのような主張はまったく論理的である。そのような立場が正しいか正しくないかを科学的に評価することは不可能である。ダガシ氏的な主張の妥当性の判定は、個人の選好によってのみ可能である」と、まずは正論をのべましょう。
 その上で、
「病気、障害、要介護状態というものは、あきらかに個人の事情である。そのような個人の苦境の緩和に関しては、その人個人またはその家族が金を払って当然である。個人的苦境に関して、公費を支出してはならない。個人的苦境を救うために他者が援助するとしたら、その他者がボランティアでするほかない」というのがダガシ氏的な考え方だと断言するのです。
 そのような考え方が正しいとか間違っているとかは、科学の立場では決して判定できません。
 ただいえるのは、私達は「ダガシ氏的な考え方の人々とは共同体を形成できない」の一言だと思います。「少なくとも、日本社会は古来から困った時はお互い様、助け合うというやり方をしてきました。産業革命により私達が住む日本国の隅々で生産力が向上し、困った時に備える公的資金の用意ができるようになりました。医療保険は困った時は助け合うをカタチにしたものであり、このような制度は産業の発展により、全国レベルで可能になりました。昔はムラレベルでしかできなかったのです。私たちは、困った時はお互い様の大原則が実行不可能なほどに日本経済が衰退したとはみてないし、経済情勢が厳しいほど困った時はお互い様の大原則の貫徹が必要だとみなしてます。残念ですが、あなたのような考え方の人と共同社会を構成することはできません。あなたのような考え方の人々に対して云いたいのは、同様の考えの人々でこの地球上に領土を確保し、あなたたちの原理原則で国家を創設してみてくださいということです」

http://homepage1.nifty.com/jsawa/medical/
投稿者:hirakata
町医者さま。

多分法律かそれに準じたルールなのだろうと思います。少なくとも自主規制ではないと思います。他の公立病院でも同じ問題で苦しんでいると聞きました。

私も基本的に在宅医療は開業医がやる方針でもいいと思うんですが、病院が出ていくことで地域の在宅医療が盤石のものになるという印象が、実感としてあります。

特に緩和ケアの分野では、在宅医療の内容が一般の在宅医療とはかなり違う時もあり、病院の緩和ケアチームのスタッフが自宅にも出向くことができる体制(当院がしばらくその体制でやっていました)の方がストレスなく緩和ケアが提供できていました。

しっかりした在宅緩和ケアの力を持つ開業医がいる地域では必要ありませんが、いない地域で病院に緩和ケア部門があれば、そこが在宅に出ていくというのは無駄の少ない良い体制だと、今でも思っています。

北欧などでは、basicな在宅ケアとadvancedな在宅ケアがどこの地域にもあり、basicでまかないきれない患者さんにはadvancedなケアチームが出ていくと聞きました。それと同じような体制のadvancedの部分を病院が担うことができれば、basicを担っている人も過重な負担を背負わなくてもすむのでやりやすいかな、と。
投稿者:町医者
そんなルールがあるんですか、、、

そういえば、当地でも、以前、準公的病院(地方自治体立ではない病院)がサテライトクリニックを作ろうとして、医師会が反対していたような。
その時、私は、医師会長自らが自分の病院でやっておきならが、なんと手前勝手なと思った記憶があります。

法律でダメとなっているわけじゃなく、いわゆる自主ルールみたいなもんなんでしょう?
無視したらいいんじゃないでしょうか。

ただ、私は、在宅医療は開業医でと思っています。
病院と開業医の連携を密にしてやるべきと。
投稿者:hirakata
町医者さま、こんにちは。

それが、公立病院はサテライトクリニックを開設できないルールがあるらしく、諏訪中央病院の分院としてできたクリニックも経営母体が茅野市(諏訪中央病院は諏訪中央病院組合)ですし、両方に籍を置く医師はいません。抜け道があるのかもしれませんが、抜け道を使って後から違反だと指摘されて返還請求となったら払うお金はありませんし。民間病院ならサテライトクリニックを作れるのにと思って、羨ましく感じていました。
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