本日(2008年11月21日付)の日本経済新聞の経済教室面に、自治体病院の経営が悪化している要因についての簡単な解説が載っている。医療費増大や人件費などに注意が向けられがちな病院経営難分析記事とは一線を画している。
記事は次のとおり。
収入源が病院危機の引き金に 医療サービス
2008年11月21日【日本経済新聞】経済教室面
人の生活に不可欠という意味で医療も社会インフラのひとつである。病棟や医療機器といった資本に加え、医師・看護師などの労働要素も含めて「医療サービス」の全体を広義のインフラととらえる必要がある。
この医療サービスの供給の一角を支えるのが、へき地医療などの政策医療も請け負いつつ、地域医療の拠点としての役割を担っている自治体病院である。2006年の厚生労働省の調査では全国8943病院のうち1047病院を地方自治体の病院が占めている。
今、その自治体病院が存続の危機にひんしている。08年9月には、地域医療の拠点として機能していた千葉県の銚子市立総合病院が病院の財政悪化で診療休止に追い込まれた。同市は経営形態を指定管理者制度に移行し、公設民営の病院として来年4月に診療再開を目指すとしている。診療休止などの事態が他の地方自治体でも起こる可能性は否定できない。
自治体病院の財政は収入から支出を引いたバランスで表される。収入の項目を極端に単純化すれば「医療費」に「患者数」を乗じたものに「補助金」を加えたものとなる。自治体病院は経営の非効率性からその支出の大きさを問題視されることが多いが、昨今の危機では、むしろこの収入の減少に注目しなくてはならない。
価格は診療報酬が引き下げられる傾向にある。補助金は地方自治体の財政難で1997年度をピークに減少。高齢化で受療率が上昇する可能性もあるが、価格と補助金の下落は自治体病院の収入に打撃を与えている。さらに医師や看護師の不足でサービス提供が困難になっている病院も多い。
人口減少で社会保険料や税金を負担する担い手が減少すると、さらに医療サービスの危機が深刻になる。自治体の枠組みを超えたより広い視野で各自治体病院の機能や必要性を再検討し、周辺病院間でも連携やすみ分けを含め、地域内での病院の再配置を議論する必要があろう。(野村総合研究所)
(記事ここまで)
このブログに書いてきた内容をまとめたような感じなので目新しい点はないが、きれいにまとまっていると思う。これが日本経済新聞に載るということに、意義がある。
「診療報酬は国が決める公定価格で、自由経済の手には一切委ねられていない」ことや、「税金から補助金を繰り入れなければ、診療報酬だけでは成立しない不採算部門の医療もある。それは診療報酬の設定が安すぎるから成立しないんではないか」ということなども、もう一歩突っ込んでもらってもよかった気はする。
自治体病院には無駄が多いから、不採算な病院が多いのだという意見は、いまでもあちこちで見られる。たしかにそういう病院も少なくないのだろう。削れる無駄(公務員の地位に乗っかって働きより数倍多い給料をもらっている人など)があれば、削るべきである。しかしかなり以前から削れる無駄は徹底して削ってきた諏訪中央病院のような病院でも、地域に必要な医療を提供しながら生き残っていこうとすると、黒字にならなくなっている。
「公立病院改革ガイドライン」などでも、どの選択肢を選んでも医療サービス提供機能に穴ができてしまう病院もある。箱もの行政が盛んだった頃に借金をして立派な病院を作ったものの、その後の国の豹変で丸々病院経営者に借金ごと経営責任がのしかかり、働いても働いても借金が増える一方の病院もある。そのような病院ができてしまうのは、国の責任も小さくないと思う。
それぞれの自治体病院で存続、縮小、廃院などを考えていたのでは、開業医はいても病院はないという広い地域が、全国至るところに生じることになるだろう。そうなった時、その地域に住んでいる人は「しょうがないね。具合が悪くなった時が死ぬ時だ」と思ってくれるだろうか。思ってくれたとしても、実際に具合が悪くなったら「助けてくれー」と思うのではないか。
これは政治や行政だけの問題ではない。国民が「オレのところだけ医療があれば、それでいいや」と思っていたら、自分のところに医療が確保される保障はない時代になる。全国すみずみまで万全な医療が行き届くことは、今後は望めない。でもあまりにも手薄になると、不安な国民だらけになって、不安な国になってしまう。「オレのところには確保しろ」ではない国民の議論が起こって、落としどころを政治家に投票で示すというのが、民主主義をちょっとだけ成熟させるのではないかと思う。