麻生首相は全国知事会議で「(医師には)社会的常識がかなり欠落している人が多い」と発言したらしい。どういう意味なのかな?
記事は次のとおり。
「社会的常識欠けた医者多い」=麻生首相、全国知事会で発言
11月19日17時57分配信 時事通信
麻生太郎首相は19日、首相官邸で開かれた全国知事会議で、地方の医師不足問題に関連し、「地方病院での医者の確保は、自分で病院経営しているから言うわけじゃないが大変だ。社会的常識がかなり欠落している人(医者)が多い。とにかくものすごく価値観が違う」と述べた。
首相の発言は、地方病院の勤務医不足を問題視したものだが、今後波紋を呼びそうだ。日本医師会などが反発する可能性もある。
また、首相は「小児科、婦人科が猛烈に問題だ。急患が多いところは皆、(医師の)人がいなくなる」と指摘。産婦人科などに対する診療報酬加算などの対応が不十分であるとの認識を示した。
(記事ここまで)
「社会的常識が足りない」というのは、現場で働いていて思い当たることはある。勤務時間外であっても、急患や入院患者さんの病状に変化があれば病院に駆けつけるし、時間外でも患者さんのご家族から説明を求められればそれに応えてしまったり、休日で呼ばれてもいないのに病院に行ってしまったり、ほとんど寝ていないような状況でも昼間の仕事をやってしまったり。労働基準法を自分から破ってしまう無法者が多いのは、社会的常識の不足といえるかもしれない。
また、医師はコミュニケーションが仕事の重要なウエイトを占めているが、医学部受験ではコミュニケーション能力は問われないことが多いため、コミュニケーションが苦手な人も医師になっている。他の職場ではコミュニケーション能力が高い人が営業などに回るのかもしれないが、医師の場合は否応なくコミュニケーションが必要な職場にほぼ全員が回される。「社会的常識が不足している」ように見える医師は、コミュニケーションが苦手なのかもしれない。
仕事に力を注ぎすぎて、世の中の流れに疎くなってしまっている医師も少なくない。そのような面からも、社会的常識が弱い医師は少なくないかもしれない。
しかしこれらの「社会的常識との乖離」を「常識が欠落」と表現するのは、あまりしっくり来ない感じがする。もしかして私が恐れているような、悪い意味で「欠落」ということばを使っているのだろうか。
「価値観が違う」というのは、誰を見てそう思ったのだろう。何に対する価値観が、誰と違うのだろう。麻生首相の価値観も、ニュースなどを見る限りでは一般の人とずれているように思う。その人が「価値観が違う」と言っているのだが、被害妄想かもしれないが、どうも良い意味で言っているとは思えない。
どうか私の懸念が、思い過ごしでありますように。