「がん終末期には5割超がホスピス・緩和ケア病棟を希望」
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民間の調査(日本ホスピス緩和ケア研究振興財団の調査)で、自分が末期がんで余命1〜2カ月になった時にホスピス・緩和ケア病棟での療養を望む人が5割を超えていることがわかった。
記事は次のとおり。
末期がんの療養先、緩和ケア病棟を5割が希望 民間調査
2008年11月11日【日本経済新聞】
末期がんで余命1、2カ月になった場合に、ホスピス・緩和ケア病棟での療養を望む人が5割超であることが、日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団(大阪市)の調査で分かった。同財団は「在宅療養が家族への負担や在宅医療の不備から難しいため、緩和ケア病棟のニーズが高まっている」と指摘している。
調査は終末期医療に関する意識を調べるため、同財団が今年2月、第一生命経済研究所のモニターになっている成人男女1010人を対象に実施、982人(97.2%)が回答した。調査は2005年に続き2回目。
末期がんで余命が限られている場合に希望する療養生活を尋ねたところ「最期まで自宅」は16.9%だったのに対し「自宅で療養し、必要になれば緩和ケア病棟に入院」は40.2%、「早い段階から緩和ケア病棟」が11.7%で、計51.9%が緩和ケア病棟での療養を望んだ。「自宅で療養し必要になれば通っていた病院に入院」は20.1%だった。
一方「自宅で過ごしたいし、実現可能」と考える人は18.6%、「自宅で過ごしたいが実現は難しい」は61.5%にのぼり、自宅療養への希望も根強かった。自宅で最期を過ごすための条件は「介護してくれる家族がいる」(66.5%)、「急変時の医療体制がある」(46.7%)、「家族に負担があまりかからない」(43.5%)が上位だった。
「がん告知」に関する質問では、治る見込みの有無にかかわらず告知を望む人は72.1%で、前回調査の70.9%から微増した。「治る見込みがあってもなくても知りたくない」は5.2%(前回7.4%)、「治る見込みがあれば知りたい」は15.7%(同15.3%)おり、合わせて約2割が余命が限られる状況での告知に否定的だった。
理想の死に方を巡る選択では、「心臓病などで突然死」(73.9%)が、「寝込んでもいいので病気で徐々に弱って死ぬ」(24.8%)を大きく上回った。年齢別では二十代で約4割が「徐々に」を選んだが、年を重ねる毎に減る傾向があった。
(記事ここまで)
「第一生命経済研究所のモニターになっている成人男女」は公募により選ばれているらしい。人数の大きさからは、それなりに信頼できる調査であるといえるだろう。この調査の結果は「日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団」のページに、もっと詳しく掲載されている。
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<調査結果のページ>
今回の調査は多岐にわたっているが、ここでは「がんで終末期になったらどこで療養したいか」という点に絞ってコメントしてみる。
国は「終末期は家に帰ろう」という方針を、まるでキャンペーンのように打ち出している。がん対策基本法やがん対策推進基本計画でも、自宅でがん医療を受けられる体制を整えることが謳われている。一般的な調査結果でも、「最期は畳の上で死にたい」という人が6割〜8割いると結論づけているものが多い。
しかし今回の調査では、末期がんで余命が限られている場合に、最期まで自宅を希望する人は16.9%しかおらず、緩和ケア病棟・ホスピスを望む人が51.9%となっている。この差はどうしたことだろう。
実は「最期は自宅で」という調査結果を出しているアンケートでも、具体的な質問をすると「自宅を希望するが、現実には難しいと思っている」という回答が多くなる。厚生労働省もそのことは承知しているはずだ(厚生労働省がおこなった調査でも同様の結果が出ている)。
それなのに、なぜ厚生労働省は「死ぬ時は自宅で」というキャンペーンを続けているのだろう。理由をいくつか勝手に考えてみる。
1)どんな場合でも病院で死ぬより自宅で死ぬ方が良いことだと信じて推進している。
2)みんなが自宅で死ぬためには在宅医療を現在の何倍にも充実させる必要があるが、厚生労働省もそうしたいと思っている。
この2つは、厚生労働省が本当に国民の健康と満足を考えている場合には、こんなこともあるかもしれないと希望的に書いてみた。
3)病院で死ぬより自宅で死ぬ方が医療費が安く上がると信じている。
4)これからの時代は満足な医療を受けて死ぬことができなくなるから、「自宅で死ぬのは幸せなことだ」という意識を植え付けて、病院に入れなかった場合の不満を少しでも減らしたい。
このへんが、ある程度現実的なところではないかと思う。世間には「今後も今までと同程度の医療は受けられるはず。受けられないなんて許せない」と思っている人も多いと思うが、国の体力と医療従事者数から考えて、今後10年以上どんどん医療を受けにくい国になるのは、避けられないと思う。どこまで悲惨な状況になるかは、これからの政治と経済次第。
5)何が何でも医療費を減らしたいから、病院のベッドは減らして、でも自宅でも十分な医療を受けさせないようにするしかない。
これは言い過ぎだと思う人もいるかもしれないが、現実の今までの医療政策は、これに近い。国は看取りを含む在宅医療を推進してきてはいるが、医療従事者が頑張っているところでは充実してきたものの、まだ多くの地域で自宅で死ぬのは「贅沢」「恵まれている」出来事である。
1)のように「家の方がいい」と単純化してしまうのは危険である。がんにはさまざまな種類があり、経過も一人一人異なっている。ギリギリまでそれなりに活動できて、1週間ぐらい寝付いただけで亡くなる人もある。ゆっくり進んで重症な状態が数ヶ月続く場合もある。麻痺になって動けなくなる人もある。症状の変化が大きく、その都度迅速な手当てが必要な人もいる。つまり、病院が適している人も自宅が適している人もいて、どんな時でも家が優れているというのは、現場を知らない人がいう意見だ。
もちろん「どんな状況でも自宅にいられるように、在宅緩和ケアを提供できます」という医療機関は日本のあちこちにある。そこではとても素晴らしい医療が提供されている。しかしそれをしている医療機関の人は「自分たちはとても頑張って、良い医療を提供しています」という自負があるはずだ。同様の医療が、日本の全ての地域に行き渡るべきというのは、夢が大きすぎる。日本の医療従事者の数にもボランティア精神にも、限りがある。
2)に書いたように、みんなが自宅で死ねるようにするには、在宅医療を今の何倍も用意する必要がある。病院では労働集約的な医療が提供できるが、在宅医療ではそれができず、しかも患者宅と医療機関を行き来する時間が余分にかかる。都市部では効率の良い在宅医療が可能かもしれないが、日本の大部分を占める田舎では、極端に効率の悪い医療となる。病院と同じ密度の医療を提供しようと思ったら、病院の何倍かの医療従事者を用意しないと、これから期待される在宅医療を賄うことはできない。
3)の「在宅の方が終末期医療費が安い」というのは、まやかしである。たしかに「死亡前1カ月の医療費」などで比較すると、入院していた人より自宅で最期を迎えた人の方が、医療費が安くなっている。しかし「だから自宅が安上がり」ということではない。自宅で亡くなった人は「自宅で亡くなれる状況だった人」であり、入院していた人の方がより多くの医療を必要とする状態だった可能性がある。さらに、病院で亡くなった人の中には「命を助けるために最大限の治療をおこなったが、結果的に亡くなった人」も含まれており、そのような人の医療費は非常に高い。母集団が同じでないものを比較して結論づけるのはフェアではない。
4)は遠い先の話ではなく、現実的な危機になりつつある。実際に厚生労働省がここまで考えているかどうかはわからないが、どうせ十分な医療を受けられないなら「でも自宅で最期を迎えられて良かったじゃないですか」と言える方が、多少幸せかもしれない。そのための根回しだとすれば、下手な作戦ではあるが、何もしないよりは良い。でも「家だったから満足」と言わせるには全くPR不足だし、同じ家で亡くなるにしても、貧しい医療や無医療で亡くなるよりは、十分な在宅医療を受けられた方が満足度は格段に上がる。そのための施策を全国に行き渡らせるのは、物理的にもう無理なのではないかと思っている。
5)は誰も公式には明言していないが、実際の厚生労働省(と、それを操縦している財務省)の医療政策に近いのではないか。本来は医療を絞り込むかわりの受け皿として「介護保険」を2000年に導入したはずだったが、介護も絞り込むことを基本方針としてしまったために、介護分野が産業として育たず、受け皿が不足してしまった。「社会保障費は絞り込むのが吉」とする政策は根本的に誤りであるのだが、いまだにそのことに気がつかない人が日本の首相だったりするので、どうしようもないのかもしれない。
諸外国では、がん末期の人は自宅やホスピスで亡くなることが多い。病院で最期を迎える人が多いのは日本の特徴であるが、これは日本が遅れているということなのだろうか。
例えば英国では医療は原則無料であり、誰でも受けられる医療は公共財だという意識がある。ある程度以上に病気が進んだ状態だったり高齢だったりすれば、自分のためにこれ以上医療費を使うのはもったいないからやめてくれと患者さんが言うような文化がある。文化としては日本よりずいぶん成熟しているように思うが、医療を絞り込む政策を長いこと続けたために「医療は貴重品」「なるべく使わないように」という意識が根付いたという見方もある。
米国では、病院に入院するというのはとんでもなくお金がかかることである。例えば虫垂炎(盲腸)で入院すると、たった1日の入院で180万円くらいかかるらしい(日本で5日入院の4倍以上)。米国で入院するというのは「非常事態」で、日本のように「終末期は入院したい」と望むこと自体が、米国の一般人にとっては「ありえないこと」である。現在の米国では、ホスピスケアは在宅で受けるものというのが常識になっている。
これらの国に比べると、日本の入院へのハードルはかなり低い。「この程度で入院なんてさせないでくれ」とか「入院は一日でも短く」という人は多くない。そして、入院でべらぼうな医療費が使われているかというと、日本の緩和ケア病棟の入院料は薬剤費・検査・処置・治療などを全て含めて1日37,800円と決まっており、日本の中で高いか安いかという議論はさておき、国際的には十分安い。「入院するとお金がかかる」と思うのは、自己負担割合が増えているのが最大の原因である。
医療機関に入る収入が十分安いので、必要な医薬品も緩和ケアに必要な人件費も、常に節約を考えていないとすぐ赤字になる。「緩和ケア病棟だから至れり尽くせりなはず」と期待されると、それに応えるにはたくさんのボランティアの力を借りて、医療従事者もボランティア精神を発揮しまくらなければ無理である。日本の緩和ケア病棟は、現状でもかなりコストパフォーマンスが良いといえる。
30年ちょっと前までは、日本も自宅で亡くなる人の方が多かった。現在では、病院で亡くなる人が約8割を占めている。この変化によって社会に大きなデメリットをもたらしているなら改めた方がいいが、日本の病院で亡くなることは、医療従事者の労働の効率も良く、患者さんやご家族の安心も増やせて、それほどデメリットは多くないと思われる。
そういう意味では、今回の調査の結果は現実に即した妥当な結果だと思う。「在宅の方が安上がりなはず」という幻想にとらわれることなく、労働が集約できるという病院の利点を活かしつつ、徐々に在宅緩和ケアも充実させていくしか方法がない。ただし、在宅緩和ケアだけでなく、ホスピス・緩和ケア病棟も現状ではかなり不足している。つまりは入院の緩和ケアも在宅緩和ケアも、より充実させていかなければならないことになる。
ところで、充実させるための医療従事者が、どこかに余っているのだろうか。