がんになっても、あわてない

 という本(朝日新聞出版)を書いた医者の、なんでもブログ。

 
医療関係者向け資料集「緩和ケア医のらくがき帳」も、よかったらどうぞ。

プロフィール

平方 眞(ひらかたまこと)
 緩和ケア医師
愛和病院(長野市)副院長

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投稿者:hirakata
そうそう、ちょっと答が不足していました。

> 20年後50年後100年後の日本を考えると、なぜ途中でやめると駄目なのですか?
> やめると何がおきるのですか?
> やめたら何か良い事はないですか?

医療や福祉がそれなりに存続できるようになるまで手当てしないと、困らないときにはそれなりに医療や福祉が受けられて、本当に困ったときにはそこに医療や福祉がないという、非常にいびつな形にしか社会保障が残らないのではないかと、危惧しています。でなければ全体が死んでしまうか。

絞っていくにしても、困ったときや必要なときにはきちんと提供されて、必要が薄いときには薄く提供されたり提供が制限されたりするように持っていかないと、社会保障とはいえないと思うんです。それより前に首が絞まって全体が死んでしまったら、国民の不安は絶大なものになるのではないかと。

立て直すことをやめたら、国民は「あきらめる」ことで運命を受け止めるでしょうが、それよりももうちょっとちゃんとみんなで考えて「受け止める」(できたら前向きに)の方が、国全体が暗〜くならなくてすむんじゃないかと。「あきらめる」の方向に持っていこうとしたら、絶対「見捨てるなんて医師として失格」とか言う人が出てきそうな気がするんです。
投稿者:hirakata
ダガシさま、こんにちは。

いい視点だと思います。今は「これは医者に診てもらいたい」と思ったら誰でもその日のうちにかかれる日本の医療ですが、世界的に見るとアクセス制限している国の方が圧倒的に多いです。日本も早晩、必然的にアクセス制限をするようになるんじゃないかと思いますが、「アクセス制限しない」と厚生労働省が明言していて、日本の医師の多くもそれが日本の医療の美点だと思ってますから、道は遠いんじゃないかと思います。私も「遠いところに鎮座している医療より、かかりたいときにかかれる医療の方がいいよなあ」と、漠然と思ってますから。

また、そのままだと命が続かなくなりそうなときに、栄養を補給しなかったりすると「医師としての延命義務を怠った」なんていわれて犯罪者扱いされたりするのも、日本の現状です。英国みたいにある程度の年齢まで生きたら「こっから先は、私の命が終わりそうになっても助けなくていいよ」という人がたくさんいる社会、それを許す社会になっていくのがいいかなあと思ってはいますが、そのためには世論も行政も法律や司法も、大きく変えていく必要があります。

「途中でやめてはいけない」というのは、「適正な規模」に近づけるのを、市場原理主義者の圧力に負けてやめてはいけないという意味です。その適正な規模がどれくらいかを考える上で、「需要を絞り込むべき」という意見は必ず出てくるだろうと思います。需要をある程度絞り込まないと社会全体が持続不可能になってしまう可能性もあるし、無制限にその場にいる人の期待に応えることが全て良いことだとも思いませんし。

今の医療は、真綿でやんわり首を絞められていたはずが、ほんとに首が絞まりそうになってきて「ゆるめて!じゃないとほんとに死んじゃうよ」という状況なので、ダガシさまのいわれるようなところまで、気が回らないんじゃないかと思います。とりあえずちょっと真綿の首輪をゆるめてもらって、ゆるんで少し余裕ができたところで「首を細くしないとまたすぐ首が絞まっちゃうよ」という議論に進む、という方向かなと。
投稿者:ダガシ
素朴な疑問なのですが、
 医療需要を抑えようとすることは考えないのですか?
 そっちの方向にしてみようとは思わないのですか?

 20年後50年後100年後の日本を考えると、なぜ途中でやめると駄目なのですか?
 やめると何がおきるのですか?
 やめたら何か良い事はないですか?

 そういう考え方は、一面からしか見ようとしない視点だと思いますが。
 お医者さんという、自分の立場を超えた視点を持つことが、単なる「作業員」から脱却することじゃないかと、素朴に思うのですが。
 作業員でいいやと思うのならば、もう喋ることも無いですけど。
 これは喧嘩売ってるわけじゃないですよ。
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