2月18日にも書いた福島県立大野病院の医師が不当逮捕された事件について、逮捕された医師への論告求刑が3月21日におこなわれた。禁固1年、罰金10万円という求刑だ。
記事は次のとおり。
<大野病院医療事故>「注意義務に違反」検察が厳しく非難 地裁で禁固1年求刑/福島
2008年3月22日(土)13:00【毎日.jp】
県立大野病院の医療事故を巡る公判で21日、検察側は「基礎的な知見による基本的な注意義務に著しく違反した悪質なもの」と、同病院の産婦人科医、加藤克彦被告(40)の医療行為を厳しく非難した。弁護側は公判後に「検察側の都合の良いところだけを文章化した」と論告を批判し、双方の対立はさらに明確になった。【松本惇】
加藤被告は、帝王切開手術中に女性を死亡させた業務上過失致死と医師法違反の罪に問われている。この日午後1時半から、福島地裁(鈴木信行裁判長)で第13回公判が開廷。検察側は途中約10分の休憩をはさみ、165ページに及ぶ論告を、午後6時20分ごろまで朗読した。加藤被告は用意されたいすに座り、検察側から提供された紙に目を落として耳を傾け、「禁固1年、罰金10万円」の求刑が述べられた際も、微動だにしなかった。
検察側は、開腹時に子宮の血管が浮き出ていたことなどを挙げ、加藤被告が「術中には癒着胎盤と認識した」と指摘。その上で、加藤被告が「指より細いクーパー(手術用はさみ)なら、胎盤と子宮内壁の間に差し込むことができるだろう」「はく離を継続しても大量出血しない場合もあるだろう」などと考えたとして、「実に安易かつ短絡的な判断により、大量出血を生じさせた」と批判した。
また胎盤はく離の状況やクーパーの使用方法などで、加藤被告の供述が捜査段階と公判段階で変遷しているとし、「責任を回避するため信用できない弁解に終始し、真摯(しんし)な反省や謝罪の態度は見られない。我が国の患者全員に対し医師への信頼を失わせる行為」と指摘した。加藤被告の処置を妥当とした弁護側鑑定には、「資料を十分に検討せず、被告の主張を肯定する結論ありきのもの」とした。
一方、平岩敬一主任弁護人は公判後に県庁で会見し、「検察側鑑定医は周産期医療の専門家ですらなく、もっと大きな弱点がある。次回の最終弁論で逐一厳しく反論していきたい」と話した。
(記事ここまで)
ロハスメディカルブログや、m3.com
(医療従事者限定、会員制)にもこの公判の記録が載っている。それだけ注目されている裁判だということだ。
論告求刑は160枚、読み上げるだけでも約5時間かかったという。毎日新聞の記事では、検察は「被告は責任を回避するために弁解に終始し」と言ったとされるが、記録を読むと検察の方が、何とか有罪にしたいと必死になって理屈をこねくり回しているように見える。ほんとに亡くなった方のご遺族のためか?検察自身のために頑張っているのではないか?
検察側の鑑定人は信用できると、再三にわたって繰り返している。本当に信用できる鑑定人だと万人が認める人であれば、そんなに強調する必要はないのではないか。
検察側の主張は、起訴されたときとほとんど変わっていない。被告弁護側の意見や鑑定結果もたくさん出ているのだが、それらは採用されていない。その理由を「産婦人科医会などの声明が出た後に出てきたもので、被告側に不利なことを言えない雰囲気ができており、公平ではない」としているが、事実を争うのにそんなことが影響するはずはない。
ご遺族にとって「たとえば」がない失礼は承知で、たとえばの話をする。
たとえば被告となっている医師が同じ治療をして、ギリギリのところで一命を取り留めたとする。そうしたら、ご家族はこれ以上ない感謝を医師に捧げるのではないか。どれくらい必死に医師が助けようとしたかではなく、どのような結果が生じたかでここまで扱いが変わることは、正当化されるものだろうか。
論告求刑の中では
「今後、長い将来のあったはずの女性であり、何物にも代えがたい生命を奪った結果は重大であり、被害者の無念が察せられる。」とか、
「『子供たちが不憫で、母親を奪った被告人は絶対に許せない。厳重な処罰を望む』などしている。突然、被害者を失った遺族が、こうした感情を抱くのは当然。」、
「信用できない弁解に終始している。こうした責任回避の行為は、本件の遺族だけでなく、わが国の患者全員に医師への信頼を失わせ、医療の発展を阻害する行為であり、非難に値する。」、他にも
「医師に対する社会的な信頼を失わせた」ということばは何回も出てくる(m3.comより引用)。
まるで殺人罪の論告求刑を聞いているようだ。罪状は業務上過失致死と医師法(異常死の届け出)違反ではなかったか。このような感情的な表現を用いなければ求刑ができないというのは、事実だけで争ったら検察側が負けると考えたからではないのか。
今回の件で警察・検察が介入しなかったら、もっとスムーズに落ち着きどころを見つけられていたような気がする。検察の介入は、明らかに事態を混乱させているように見える。検察が入ったから、医師は身構えるようになったのだろうし、正しいことをやったと主張しても罪に問われることがわかったから、どうやったら罪人にならなくても済むかを考えなければならなくなったのではないか。
論告求刑の報告を読んでいると、難しい状況を抱えた患者さんを助けようとする医療行為は、いつでも罪に問われる可能性があると感じる。状況が厳しくなれば厳しくなるほど、医学としては難しい対応をしなければならなくなるが、どんな状況になっても完璧な対応をできる人でなければ、そのような厳しい現場に身を置くことは許されない時代になりつつあるようである。
被告弁護人の最終弁論では、検察側の主張を全面的に否定することになりそうである。それでもなお検察側の主張に沿った判決が出たときには、日本中の医療現場に絶望が広がることになるだろう。それは検察以外の誰の得になるのか。医療側にも患者側にもマイナスしかないように思うが。