2011年3月11日(金)午後2時46分に始まった東日本大震災から、今日で10年になります。
震源域は南北450km東西200kmという巨大な領域で、複雑な破壊が次々に起こり、300km以上離れた長野市でもかなり長い時間、大きくゆっくり揺れました。病棟で会議をしていましたが、その後に回診で回った各病室のテレビが東北沿岸の様子を伝えていて、津波に車や家が飲み込まれる映像が生中継されているのは、現実のことと認識するのにも少し時間がかかる光景でした。
岩手の大槌町に医療支援に行ったり、翌年は自由学園の卒業生の集まりで気仙沼などを回ったり、2014年にはワールド・ドクターズ・オーケストラの無料コンサートで原発から避難してきた人の多いいわき市アリオスホールで音楽を届けたり、少しずつは力になれるかなと思うことをやってきましたが、テレビで今の被災地の様子を見ると、まだ復興は緒に就いたばかりという気がします。
10年という期間、東日本大震災の与えたインパクトは、大きさも内容も人それぞれでしょう。直接被害を受けた人、家族や近い人を喪った人にとっては、10年はあっという間で、心のダメージは癒えた実感はないかもしれません。自分が生き残ったことで、亡くなった人への罪悪感を抱え続けている人もいると聞きます。それぞれの人の気持ちが異なるので、ここに書けるような言葉が思いつきませんが、少しでも穏やかな気持ちで過ごせるように祈ります。
当時のテレビ中継を見ると、地震から津波までの間「海岸や河口などに近づかないでください」と言っていましたが、それでは全く足りなくて「すぐに高いところに逃げてください」というのが正しいアドバイスだということは、東日本大震災後は多くの人に認識されたと思います。東海・四国・九州や関東にも、大地震の際は大津波が来ることが予想されています。どこか宿に泊まるときに非常口を確認しておくのと同じように、沿岸地域では「地震の時に逃げるならどこか」を確認するようにしたいところです。
岩手県の小中学校では、東日本大震災の少し前から「地震があったら、高いところに逃げる」という教育がされていました。それによって助かった子どもたちがたくさんいます。そのようなことは東南海地震の津波が予想されている地域でも進められていて、避難するための津波避難タワーも多く作られています。東日本大震災で亡くなった人のうち、9割ほどが津波によると言われているので、津波に呑まれないための準備はやりぎることはないと思います。
災害でも病気でも、予想がつかないことや期待に反することはたくさん起こります。後から「あの時こうすれば」と反省することが少なくなるように、日頃から気持ちの備えと物の備えをしておくよう、もし命がなくなるなら恨みやいざこざを残さずに亡くなれるよう、気を引き締めて残りの人生を生きていきたいと思います。
変なまとめですみません。
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