がんになっても、あわてない

 という本(朝日新聞出版)を書いた医者の、なんでもブログ。

 
医療関係者向け資料集「緩和ケア医のらくがき帳」も、よかったらどうぞ。

プロフィール

平方 眞(ひらかたまこと)
 緩和ケア医師
愛和病院(長野市)副院長

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投稿者:hirakata
michikoさま、こんにちは。

当時に比べると、交通は格段に楽になりました。車はまず壊れないし、高速道路はつながっているし、長野まで新幹線が走っていて東京から最短90分かからずに行けるし。でも移動で苦労した経験って、それだけで「思い出」になるもんですよね。最近は、思い出になるような移動は、あんまりしてないかなあ。
投稿者:michiko
和田峠でパブリカが動かなくなり、漬物屋さんのワンボックス?に丸子町のどこかの修理工場まで引っ張ってもらったのは、まだ鹿教湯に引っ越す前のことでしたね。どうやら、50キロ近く引っ張ってもらっていたと、母は今でも思い出して語ります。生まれて初めて《蛍》をみたのは、その自動車工場でのことでした。

浅間モーターロッジに泊まったのは、『霧が深くて動けなくなった』夜。10メートル先も見えないような深い霧で、危うく階段を降りそうだった!レストランしか入ったことがなかったし、その頃はホテルに泊まることなどまずなかったから、壁面に火山岩を使ったような造りに、驚きましたね。斬新。今は有名な廃墟になってしまっているようですが。

投稿者:hirakata
michikoさま、おはようございます。

碓氷峠旧道のも、あまり覚えてない。韮崎の方で坂を登れなくて途中のレストランに避難したのは覚えてるけど、小さい車だったからパブリカ?

当時は東京から鹿教湯まで、道が良くなる前は片道7時間とか8時間とかかけて移動してたんですよね。道が良くなっても6時間くらいはかかってたし。長野県から出たことがないとか、電車に乗ったことがないという友達も多かった頃に、頻繁に車や電車で東京と長野を行ったり来たりしていたのは、なかなかのパワーだったと私も思います。

経済が歪んで、破綻を避けるためにその歪みがどんどんひどくなって久しいですが、米国が「出口戦略」としての利上げに踏み切っても、本来の実体経済を基盤とした経済構造に戻すのは、無理なんじゃないかと思います。でも弱者にしわ寄せが行って金持ちはさらに金持ちになる割には幸せにはならないという今の「新自由主義的価値観」は、倫理的に変だなと思う人が増えてほしいと思います。
投稿者:michiko
そうそう、碓氷峠と言えば、もう一つ。西内小学校の運動会が、台風接近で午前中だけやって、その後、延期になった時、父と子供二人?とペリーと一緒に、東京へ向かったら『バッテリー上がり』で碓氷峠(当時は、旧道。さらに大変だった)で動けなくなったのは?

ライト点けて、ワイパー全開、エアコンで曇り止め、情報収集のためにラジオ、と電気関係を使いまくったからからだったのか?

「台風と同時に、東京着か?」と言っていたのが、そのトラブルで『台風一過』の真夜中に到着したら、天の川まで見える満天の星空で、「東京で、一番星が見えた」夜になったことを覚えています。

碓氷峠がまだ旧道だった時代に、今の我々よりも若かったとは言え、父も母も、よくやっていたなぁ。鹿教湯に住む前には、『夏に過ごす』ために、屋根の上に布団袋を乗せて、碓氷峠を上り下りしていたんですからねぇ。

「安かろう悪かろう」という言葉は、ある意味で真実を突いているのだと思います。確かに「原価にちょうど良い利益を乗せたのが適正な値段」が社会が円滑に回るための、『ちょうど良い』暮らしのように思います。

仙台にいるホームレスの多くは、『金の卵』と言われて関東へ集団就職した人たちだったのだそうです。そして、時は流れて、郷里への帰省もままならず、経済的に困難に陥った時に、「せめて、故郷の言葉の聞こえる場所へ」と、仙台を目指すのだそうです。「ほどほどの都会で、何とか生活できるのではないか」と一縷の望みを抱いて。

『一億総○○』には、危険な響きが感じられます。『規制緩和』も、同じような怪しさがあった記憶があるのですが、いかがですか?
投稿者:hirakata
michikoさま、おはようございます。

そんなこともあったような気がしないでもないような。物心ついてなかったのでよく覚えてません(←うそ

碓氷バイパスが開通したのが、その前年秋だったみたいですね。旧道と比べると、画期的に走りやすい道のように感じました。数年前に通った時も、長野の峠道に慣れてるせいか走りにくいとは思わなかったけど、大きな車には難所でしょう。

「安ければ安いほどいい」という価値観が行き過ぎると、誰かがその歪みを一身に背負うことになります。今回は運転手に行った歪みがそこで止まらずに13人もの若者ともう一人の運転手を道連れにしてしまった。「原価にちょうどいい利益を乗せたのが適正な値段」にすれば、もっと社会は円滑に回るはずだと思うのに。
投稿者:michiko
同じ道を、三月下旬に母と子どもたち三人で走っていて、雪でどうにもならなくなって(多分、登れなくなった)通りかかった車に助けていただいて、軽井沢の警察署に行ったこと、覚えていますか〜?

助けてくださった方が、「今の時期は、夜中にタクシー会社に行くとかえって疑われたりするかもしれないから」と、警察署へ向かったのでした。あれは、連合赤軍のあさま山荘事件があった年の三月。
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