がんになっても、あわてない

 という本(朝日新聞出版)を書いた医者の、なんでもブログ。

 
医療関係者向け資料集「緩和ケア医のらくがき帳」も、よかったらどうぞ。

プロフィール

平方 眞(ひらかたまこと)
 緩和ケア医師
愛和病院(長野市)副院長

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投稿者:hirakata
北越さま、こんばんは。

オール・オア・ナッシングの論法は、それに接したときに「なるほど! わかりやすい!」と強く信じられやすいものですが、中間にあるものもどちらかに分類しないとその論に当てはまらないので、無理矢理どちらかに入れて二分しなきゃいけないという無理があります。

私の友人が言っていた話で、「完全な障害者もいなければ、完全に健康な人もいない。健常者と障害者の間に境目なんてない」というのがあるんですが、そういう考え方の方が実状に合っていると思います。

完全な社会主義は崩壊しましたし、完全な資本主義では弱者は生きていけません。どちらかが絶対に正しいという原理主義的な考え方からすると、ミックスするのは「妥協」「敗北」に見えるのかもしれませんが、たくさんの人がいろんな考えで生きている社会は、そんなに単純に成り立つはずがありません。北越さまが言われる通り「バランス」が大事なのだと思います。

現代医学は、近藤誠氏が言われるほど無力ではないと思います。たとえばつい最近診た患者さんも、最初のがんは四半世紀ほど前に手術をして完治し、2番目のがんは放射線治療で完治し、3番目のがんに対しては治療をしたものの病気の方が上手でした。最初のがんを手術していなかったら、ずっと前に命が終わっていただろうと思います。近藤氏の論を借りれば「それはがんもどきだったのだ」ということになってしまうのでしょうが。

私が問題だと思うのは、このような経過のときに、近藤氏の論法だと「最初の手術は痛い思いをしただけで意味はなかった。3番目のがんは2番目の放射線治療の影響で生じたものかもしれない」と、経過を否定する考えばかりが出てきやすいという点です。

私は最初の手術で20年以上命が延びたと思いますし、できるだけの治療をしたことでそれなりの良いことがあったのではないかと思いますし、そのように肯定的に考えた方が、人生を振り返った時に「これで良かったんだ」と思えるのではないかと思います。

どうせいつかは死んじゃうなら、自分だったら「いい人生だった」と思って死にたいですもん。
投稿者:hirakata
カルストさま、こんばんは。

このマンガは“神の手”真道隼人医師が主人公なんでしょうが、教授になる寸前まで行って、いろいろあって近藤誠氏と同じように「転身」というのは、「近藤氏にも本当は教授になれるぐらいの力があったんだ」ということにしたいのかな、という狙いもあるのかな、なんて穿った見方もしてしまいます。近藤氏が歩んできた時代と今では医学の常識もかなり違うのに、設定が現在というのも、人物設定に齟齬を来しているような気がします。

近藤氏がいろいろ発言して世間には注目され、いい面はあったものの「自分の言うことは全部正しい。それを認めない医学界がおかしい」という考え方になっていった経緯はわかりません。でも正しいことだけを言っていたならここまで反論を招くはずもなく、正しくないことも言っていると私は思います。

「そばもん」はここ3回ほどで、非常に真っ当な「食品添加物悪者論」を否定する展開になっていると思いますが、これも悪者論を信じる人にとっては「なんだよ、NISSINの回し者じゃないか」としか読めないのではないでしょうか。

私なんかは割と「何でもあり」だと受け入れる方なので、いろんな意見を聞いて受け止めはするものの、どの意見も100%正しいとは思っていないのかもしれません。近藤氏、船瀬氏、雁屋氏などは、こうと思ったことを世の中に広げる表現力や説得する方法を持っているために、それが正しくない場合には世の中を歪めることになってしまいます。本人たちは「絶対に間違っていない」と思っていそうなところが共通している気がします。
投稿者:北越
hirakata先生、こんばんわ。

オール・オア・ナッシング発想って気味が悪いです。

他国の人々のことを詳しく調べてはいませんが、日本人は絶対的正義と絶対的悪という発想をしがちの気がします。近藤先生の考えは、講談の「水戸黄門」みたいなもののようが気がします。たとえば社会主義と資本主義のバランスがなりたって、いるの先進国の現状です。近藤先生は、あまりにも現代医学を否定しすぎています。もちろん現代医学にも欠点はあります、それを否定しすぎているのも怖いです。

その部分的欠陥を全面的欠陥のように言い立てて、支持している人がかなり多いのも怖いです。
投稿者:カルスト
hirakataさま、こんばんは。

真道医師の人物造形については、近藤医師のように元々放射線医だったという設定にするとあまりにもあざといしインパクトが少ないという判断だったのかもしれませんが、神の手と呼ばれるような外科医だという設定にしてしまったせいで逆に説得力がなくなってしまったと思います。

そばもんに出てきた本は、間違いなく「買ってはいけない」や同書の執筆者の一人である船瀬氏の著作が元ネタなんでしょうね。

週刊金曜日は昔購読していたことがありました。納得できる記事もそうでないものもありましたが、あまりにも偏った読者投稿欄の意見に嫌気がさして購読をやめたという経緯があります。
私も若い頃は、船瀬氏や美味しんぼなどのように企業を絶対的な悪とする意見に与していたのですが、年をとるにつれてそれもおかしいと感じるようになりました。もちろん、企業に悪意がないと言うつもりはありませんが、船瀬氏や雁屋氏の意見も非常に偏った非科学的な意見だと思うようになりました。船瀬氏については、最近は医療不要論みたいなことも言い出しているので、私の中ではトンデモさん分類しています。
やっかいなのは、近藤氏にしても船瀬氏にしても、その主張の中に幾分か正しい(論理的に見て妥当と思える)ものが含まれていることです。全く荒唐無稽な主張とは言いがたいために、信用する人が少なからずいるように思います。
投稿者:hirakata
カルストさま、こんばんは。

真道隼人医師の人物像については、私も何回か引っかかっています。視野の広いバランス感覚に優れた人なのか、それとは正反対なのか。多分連載を始める時点では、どんな人生を歩ませるのか、はっきり決めていなかったんじゃないかと思います。神の手を持つ外科医が、いろいろあって近藤誠氏の人生をなぞる、くらいの大雑把な設定で、後は展開で人物像を固めていこうというあたりでスタートしたんじゃないかと。でも迷走していますね。連載16回目になっても、まだ主人公を読者が信用しきれない状況だと、何かを狙っているとしてもうまく行かない気がします。

ただ実際には外科手術の上手い人が、何かのきっかけで外科を辞めるということは割とあって、視力や手先の動きが全盛期を下回って「潮時だな」と思ったら(その判断基準は求められる技術にもよるでしょうが)別の道に移ったりしているようです。機械の進歩によって、その限界は延びているらしいですが。

「そばもん」の最近の連載、同じことを思いました。6月25日号のマンガ中に出てきた「食べないほうがいい食品」っていう本のタイトルを見て、「買ってはいけない」(1999年、金曜日刊)を思い出しました。私はしばらく「買ってはいけない」に影響されたけど、その後は「週刊金曜日」も疑ってかかる方向に振れました。

自分の主張を強めるために、否定したいものを「悪意を込めた表現で修飾する」ことは、私の好みとは合わないようです。考えてみれば「医者を見たら死神と思え」とか「医者に殺されない47の心得」とかは、そういう命名法ですね。そういう刺激的な表現に引きずられない、冷静で明晰な判断力を持った方がいいと思います。
投稿者:カルスト
hirakataさま、こんばんは。

最新号をやっと読みました。もっとも時間がなくてざっと読んだだけなので感想も簡単にしか書けませんが。

放射線治療の実際については素人なのでよく分かりません。hirakata先生の解説を読んでいくらか分かった気がします。
この作品を読んでいて最初から抱いている疑問があります。真道医師は若くして神の手と呼ばれる外科医で、今回のエピソードでもあまり経験のない(内心の声として久しぶりの措置と言っていたと思います)ステントを見事な手技で成功させています。そんな真道医師が、なぜ外科の道を簡単にあきらめたのでしょう?癌治療だけが外科医の仕事ではないはずです。今なら、移植手術などもあるでしょうし、外科の技術が優秀な医師は引く手あまたなのではないかと思うのですが。癌の手術はしないが、他の外科手術はするという選択肢はなかったものか。そういう意味では、真道医師もおかしな性癖を持つ奇人だと思います。ですが、近藤医師にとってはこういう選択が当たり前なのかもしれませんね。もっとも、近藤医師は外科からの転身組ではなかったはずですが。だからこそ、こういう妙な人物造形になるのかもしれません。
同じ雑誌に掲載されている「そばもん」が、ここ数回は食品添加物について実にまっとうな見解を展開しているのが好対照だと感じます。もちろん、私がそう感じているということですが。個人的な感想ですが、食品添加物悪者論と近藤理論には似たものを感じます。ところどころ正しい部分はあるものの、資料の意図的とも思える誤読があったり、全体としては印象操作に近い表現を多用したりという部分がよく似ているなあと思っています。
このように、ある意味で真逆な作品が載っているというのは編集部の中立性を示しているのか、あるいは「我々は中立ですよ」というアピールに過ぎないのか。
まあ、前者なのだとは思いますが、「医者を見れば…」はこういう穿った見方をしたくなる作品ではあると思います。
投稿者:hirakata
Tak. 'SPIKE'さま、こんばんは。

このマンガが、これまでの近藤誠氏の著作と同じ流れに乗ってがんになった人に「考えない人生」を推奨し、その結果「こんなはずではなかった」と残念な思いの中で命が終わっていく不幸を食い止めたいと思い、書き始めました。それと月2回ならチェックするにも無理がないかなと。今のところ徒労感の方が大きいですが、絶大な力を持つ連載になって私の無力感が大きくなるよりは、いいのかなと思っています。

「海街diary」って、そんな設定だったんですね。ちょっと興味はあったんですが「見ないまま終わるのかなあ」と思っていました。この週末は待機当番で長野にいるのと、駅前の書店が22時までやっているのと、21時半から近くの映画館で上映しているので、これから「海街diary」に浸かる週末にしてみます。宿舎の部屋掃除する予定だったけど、後回し。でも仕事で呼ばれたら、それが最優先。どうなることでしょう。
投稿者:Tak. 'SPIKE'
平方先生、ご苦労様です。

ずっとこのマンガの連載に対する評価をお書きになっておられる姿勢には頭が下がります。
でもどうせ読むなら、心にしみ込む素晴らしい作品を選んで、その余韻に浸っていただきたいと思います。

最近映画化された「海街diary」の原作は、個人的に非常に気に入っていて、緩和ケアを知ってもらうための最善のテキストではないか、と思っています。

主人公の4姉妹の長姉が「緩和ケア病棟の看護師」ということもあるのですが、全編を通して流れている「他者を思いやり、相手のつらさを理解しようとする」フィーリングが、私の考えている緩和ケアと共鳴するような気がするのです。

映画が話題になっていることもあり、自分が緩和ケアの話をする機会があると、「私の話を聞くよりも、このマンガを読んでもらった方がずっとよくわかりますよ。」と言うことが、最近多くなりました。

未読でしたら、ぜひご一読をお勧めします。
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