
ちょうど1週間前の3月21日に公開された映画「神様のカルテ2」を見てきた。勤務医の人生の実態を知ってもらうためにも、緩和ケアという医療を知ってもらうためにも、いい映画だと思った。
(以下の感想はネタバレを含みますが、読んでも映画を見た時の感動はさほど薄れないのではないかと思います。でもこれから見るつもりの人は、やめておいた方がいいかもしれません)
まずは勤務医の人生について。日本の医師の多くは今でも、24時間365日「仕事第一の人」であることを求められる。患者さんやご家族も、医師自身もそれを「当たり前のこと」と考えている場合が多いが、それによる軋轢や苦しさを抱えたり、見て見ぬ振りをして傷を深めている人も少なくないと感じている。
主人公の栗原一止(櫻井翔)は消化器内科医で、当直の時は何故か多くの患者を引き寄せる「ついているやつ」だが、今回は大学の同級でエリート血液内科医である進藤辰也(藤原竜也)を登場させて、医師としての生活と家庭人としての生活の両立の難しさを表現させている。
一止はいつも、文学的な言い回しをする。そのような話し方をすることで、自分を守っているのではないかと、少し感じた。辰也も口数が少なくて、転勤してきた当初は誤解を招くが、口数の少なさは「医師としての過剰な使命感の裏返し」なのかもしれない。
辰也の妻である千夏(吹石一恵)は小児科医で、育児休暇から復帰後に、体調を崩して一日だけ休んだ日に患者さんが急変し、不在だったことを無責任だと家族から責められ、それ以後家庭よりも子供よりも仕事を最優先する医師になる。
辰也は一止に「昼も夜もなく働き続ける千夏を見てみんな『立派なお医者さまですね』ってほめるんだ。狂ってると思わないか? 立派な医者ってなんだ?」と問いかける。このような描写は、医師に求められている理想の姿を医師自身が追い求めれば求めるほど、人間らしい生活から遠ざかっていくことを適確に表現していると思った。どんな仕事でも、多かれ少なかれその要素はあるのかもしれないが。
私も「立派な勤務医」だった頃は、100%家庭人でいられる時間は全くなかった。いつでも最低10%は医療人であり、携帯電話が鳴った瞬間に100%に跳ね上がる。少なくとも50%は家庭人でいたい自分もいて、挟まれた心はつぶれそうになっていた。今は同じ仕事を複数の医師で分担できる環境の病院に移ったので、気を緩めることのできる時間ができた。
映画の中で病院の事務長は、診療の効率化を力強く求める。「医療はボランティアではありません。ビジネスです」。急性期医療も担う病院から離れてだいぶたつので、今ではこの事務長の立場も理解できるが、前の病院で働き続けていたら今頃は本当に過労死していたかもしれず、とりあえず運命に感謝している。
一止も辰也も事務長もその他に出てくる大勢もみんな、さまざまなものの板挟みになって、苦しい思いをしている。その中で、感性や実力を少しずつでも鍛えて、少しでもいい状況を作り出せるように、努力している。それを続けることが、一人一人の底力を増やし、笑顔や幸せを増やす結果につながっている。ただしこの映画の中では、板挟みになって壊れていく人がいない。話ができすぎのような気がしないでもない。
一止の妻、榛名(宮崎あおい)は、とても勘が良く頭の回転が速い女性で、相手の悩んでいることに対してまっすぐ答えるのではなく、4分の3歩ぐらい先を行った答を、絶妙な間合いで返す。宮崎あおいという人は、女優として素晴らしいと感じた。
榛名と一止の組み合わせは、それぞれ個性たっぷりではあるけれど、理想の夫婦の一つの形だと思う。また、辰也とその妻の組み合わせも、これからどうなるかはわからないが、医療の世界ではあり得る形だと思う。
次に緩和ケアについて。仕事の上司が大変難しい病気になる。その上司を治療するのが、一止と辰也に課せられた大きな仕事になる。その過程で、緩和ケアが大きくクローズアップされている。
緩和ケアとはどういう医療かについて、私が一般の人向けの講演などで言っていることばが、ほぼそのままの形でいくつも出てくる。私の講演を聞いたんじゃないかと思うぐらい。そんなわけはないけれど。そういうことばが随所に出てくるので、この映画を見ると緩和ケアの基本的な「考え方」「姿勢」を知ることができるのではないかと思う。
看取りの場面でも、私が人を看取る時に気をつけている習慣と、一止の行動に共通点があった。最後の聴診をした後にボタンをきちんと留めるとか、時間を明確に告げるとか。息が止まってから確認までの時間の短さとか、確認後医療関係者がみんなすぐに病室からいなくなってしまうのはちょっと違ったけど。
いなくなるのは、大切なお別れの時間を邪魔してはいけないという配慮かもしれない。なので、私もいない方が良さそうだと思った時には、一旦病室を出る。ただし、しばらくはいた方が良さそうだと思う時も多々あり、それを見極めるだけの時間を持ってから、出るか残るかを決めるようにしている。
一止は「ご臨終です」と告げた。私はたくさんの臨終の場面に立ち会ってきたが、「ご臨終です」と言ったことは5回ぐらいしかない。どうも紋切り型の言葉のように感じてしまって、心の込め方がわからないからだ。さまざまな言い方で、亡くなられたことを告げているが、いまだにどう告げるのが一番良いのかわからない。伝わり方に間違いがないという意味では「ご臨終です」も最適なのかもしれない。
良い映画だと思う。ただし私には共通点が多すぎて、苦しい映画でもあった。勤務医として苦しい時代があったこと、血液内科医でもありlymphoblastic lymphomaという厳しい病気の人に直面して苦しんだ経験もあること、緩和ケアの場面ではさまざまな現実が思い出されること、舞台が長野県であること、等々。
骨髄穿刺のスメアの引き方は、下手くそだったなあ。正しい方法でちょっと練習すれば、もっと本物らしくなるのに。でもそんなの気にするのは血液内科医ぐらいなものかも。検査の画像などは見えた範囲では割とリアルで、全体に医療監修は行き届いていたと思う。気になる点は多々あるが、つつくのも野暮なので。
人の配置や動きも、それぞれの関係も、私は半分ぐらいしか冷静に見られなかったので客観的でも緻密な評価でもないけれど、良くできた質の高い映画のような気がする。医療を受ける立場でも提供する立場でも、もちろん遠い先に医療を受けるだろうという立場でも、得るものが多い映画だと思う。機会があったら見てみて下さい。お勧めします。
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