
長野市権堂にある映画館「ロキシー1」に、映画「祝(ほうり)の島」を見に行った。1時間45分のドキュメンタリー映画。昨日見ようと思っていたが、ホームページを見たら「24日に監督とプロデューサーが来る」と書いてあったので、今日にした。ここから「原発を考える濃い一日」が始まるとは思いもせず。
長野市権堂の商店街にある「長野松竹相生座・ロキシー1・2」という映画館は、日本の中でもかなり歴史のある建物で、増改築が重ねられているものの建物本体は1892年の建築。今まで3回ほど見に行ったことがあるが、なかなか良い映画を選んで上映している。
今回の「祝の島」は、今週末の29日までの上映。時間は10:30〜、14:50〜、16:50〜の1日3回。ロキシー1では性能のよい、新しいデジタルプロジェクターを導入したそうで、とてもきれいに映写されている。
さて、ここからは「祝の島」の紹介。ネタバレしてもそんなに困らない映画かとは思うが、見てない人は先に読まずに、先入観なく見てもらった方がいいかもしれないとは思う。
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「祝の島」(ほうりのしま)の舞台になっているのは、瀬戸内海の西の方にある「祝島」。島の東側に1つだけ集落があり、500名ほどの人が暮らしている。映画は島の人たち(多くは高齢者)の生活を淡々と映し出すが、海と共に生きる人も、山と共に生きる人も、厳しく豊かな自然環境の中で逞しく生きている。
これだけならただの「新日本紀行」だが
(わからない方は→こちら)、祝島の人たちの生活には、海を4kmはさんだ対岸の田ノ浦で計画されている、中国電力上関原発の建設計画が、根深く入り込んでいる。
映画は、昭和の前半に建てられたと思われる建物で開かれている上関町の町議会で、建設推進の決議が採択される場面から始まり、原発計画がテーマなのだということは、冒頭でしっかり宣言されている。祝島の人たちの9割は、原発建設反対を現在まで29年も続けてきている。しかし、映画は反対運動を描くのではなく、海と、山と共に生きる人たちの生活そのもののを切り取っている。
原発反対を声高に叫ぶのではなく、祝島の人たちの生活をそのまま映し出すことと、原発推進運動/反対運動がどのように地域の人たちを分断してきたかを間に挟むことなどで、島の人たちの心配を浮き彫りのように描き出している。これを見て思い出すのは、今回の映画のプロデューサーである本橋成一氏が監督をした「ナージャの村」などのチェルノブイリ関連の映画だ。
ナージャの村でも、プロデューサーである鎌田實氏が「ちょっとでいいからチェルノブイリの画を入れたい」と言ったのを、本橋成一氏は頑なに拒んだと聞いている。直接的なものを敢えて省くことで、テーマを浮き上がらせるという(気付かないで過ぎてしまう可能性もある危険な)手法は、純度の高い映像作品であれば、かえって多くの人の心に響くのかもしれない。何となくそう思うだけだけど。
後で「祝の島」の監督やスタッフに話を聞いてみたら、電力会社が島の人たちを「原発見学ツアー」に連れて行った時の話も聞いているという。宿付き食事付き、交通費も電力会社持ち(でしょう、多分)の旅行で、原発に入って見せてもらったのは「ホール」までだという。そこで「原発がいかに安全か」という話をこれでもかこれでもかと聞かされ、海側から見るのも原発から1.5km以内には近づかせないという「見学」。何も考えないで、漁業補償金10億円超をもらって原発に反対しないという選択肢もあったが、見学に行っていたおばちゃんの一人が「この海、何かおかしくねえか?」と言ったという。そのようなエピソードは(ドキュメンタリーとして撮れなかったからかもしれないが)、映画の中には盛り込まれない。
「海がおかしい」というのは、ただ単に原発の廃熱による海水温上昇と、排水に混ぜる塩素などの影響だけかもしれない。しかし、いつも見ている「命の海」とは何かが違うと、そのおばちゃんは感じたらしい。映画の中ではインパクトが強めなメッセージとして、大工を辞めて島に戻って漁師をついだ橋本さんが語る、以前原発で配管工事などをしていた時の話が出てくる。短い時には5分ほどで線量計のアラームが鳴り、後で測ると作業者はみんな白血球が減少していたという。しかし直接的な話はこれぐらい。
見終わった感想は、少しもやもやした気分は残りながらも「いいものを見た」という感じ。今回はロキシー1に「いいデジタルプロジェクター」が入ってそれで映写したこともあり、とてもきれいでリアリティがあった。一人一人の深いしわも、美しく見えた。しわが美しく見えるのは、現役で体を使って働き続けている人ならでは。
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上映に続いて、この映画の纐纈(はなぶさ)あや監督と、本橋成一プロデューサーの舞台挨拶。本橋成一氏は写真家でもあり、映画監督でもあり、今回はプロデューサーもやっている。纐纈監督は、本橋氏の「ポレポレタイムス」で働く、30代半ばの女性。実はこの二人とも、私が中学高校と通っていた
自由学園の出身だったりする。
舞台挨拶では、纐纈監督と本橋プロデューサーがマイクをやり取りしながら、しゃべりたいことを自由にしゃべっていた。映画を見ていた時に、この映画は多分「映画を撮るぞー!」という気合いが抜けた状態で撮ったんだろうなと何となく感じたが、実際に1年7カ月も(ぶっ続けじゃないとは思うけど)島の人たちと一緒に生活をして、もちろんカメラの前だから完全な「普段」じゃないけど、限りなく普段に近い姿を切り取ることに成功している。作り物っぽくない、本当のドキュメンタリーを撮るのは楽じゃないんだなと思った。

舞台挨拶が終わって、少しの時間を利用してサイン会が始まった。映画のパンフレットは買ってあったので、そこに2人にサインをしてもらった。本橋氏のはマジックだったのですぐ乾いたが、纐纈監督のは筆ペンで、乾くのにちょっと時間がかかった。きれいな字を書くよね。
関係ないけど、自由学園は学生の頃、毎週習字を書いて提出するので、頑張る人はきれいな字を書くようになるし、きれいな字を書く必要を感じない人は、ただ書いて出す。寮生活では、後輩に書かせて出してた人もいた気がしたな。
サイン会が終わって、本橋プロデューサーと何人かの人と話をしていたら、纐纈監督も出てきた。本橋さんが「この後、面白い人たちと会って一緒に集まりをするんだけど、紹介したいなあ。時間ある?」と聞かれた。今日は自宅を離れて病院の近くにいなきゃいけない日なので、病院に呼ばれない限りは自由時間。「あります」と答えて、次の午後1時半からのイベント「脱原発ナガノ・2011フォーラム」というのに行くことになった。

「脱原発」フォーラムの会場は、写真の「長野市ふれあい福祉センター」。愛和病院までは歩いて2分ぐらい。ここならいつ呼ばれても大丈夫。昨日までは台風6号が行ってしまってから2〜3日涼しかったけど、今日は暑さがぶり返してきた。

突然参加することになった今日の催しのプログラムは、こんな感じ。主催は、以前
「創立15周年記念講演会」でも紹介した
オフィス・エムと、そこが出している(ほぼ)季刊誌「たぁくらたぁ」。

第1部は「[女たちの3・11] いま、時代を超えて!!」というテーマ。オフィス・エム代表の寺島純子さん(女優さんではありません)が司会を務め、映画「花はどこへ行った」の坂田雅子監督、「祝の島」の纐纈監督、チベットの実状を伝え続けている作家の渡辺一枝さんの3人の話を聞いた。3人の「表現者」が、地震・津波・原発事故で何を感じ、何を考えたか、今後自分の人生にどう影響するかなどを、それぞれの言葉で語っていた。
「祝の島」を見ていても、この4人の話を聞いていても思ったのは、男と女では「命にとって危険なこと」を見抜く本能的な力に、歴然とした差があるのではないかということだ。「命にとって危険なこと」を直感的・本能的に感じ取る力は、圧倒的に女性の方が強いのではないかと思う。それは男に説明されたってわからない「危ない感じがするんだからしょうがない」という感覚。
比べて男は、本能的に漠然とした危険を感じ取る能力よりも、どういう行動を取るのが集団にとって最適かとか、ここは長いものに巻かれる道を選んでおこうなどという、良く言えば社会への適応力のようなものは強いのではないかと思う。男と女は本質的に違うのだということは、だいぶ昔から気付いていたが、こんなところにもあったかという感じ。

第1部の終わりに、本橋成一さんとスズキコージさんの合作「No More Atomic Energy! No NUKES!」の披露があった。この作品展はは、つい最近まで東京で開かれていたもので、オフィス・エムの村石保編集長が見かけて「これはいい!」と今回急遽発表してもらうことになったものとのこと。

スズキコージさんの作風はこんな感じ
(芸術作品なので、これぐらいの解像度でご勘弁下さい)で、諏訪中央病院にも大きな壁画が玄関近くに掛けられているので、見たことはあった。本橋さんの話によると、本橋さんの事務所にやって来て、はさみでジョキジョキ写真を切り取り、まるで歌を歌うように作品をどんどん作り上げていくのだそうだ。計算に時間をかけずにこれが作れるのは、やっぱり芸術家ってすごい。時間をかけるすごい芸術も、もちろんありますけど。

第2部は「たぁくらたぁ」の編集部員による「[メルトダウン・フクシマ]奪われた未来から原発を問う!!」。
「たぁくらたぁ」の編集部員は、何回か福島に入っている。南相馬市とは産廃処分場の問題で震災前から付き合いがあるそうで、かなり食い込んだ取材をしている。まずは村石保さんが、主に宮城県の被災地で撮ってきた写真を見せて説明(ここから、というところでパソコンが表示できなくなって終了したのは残念)、次に福島のあちこちで取材をした野池元基編集長の発表、次に川田悦子元衆議院議員(川田龍平参議院議員のお母様)の発表、最後が環境科学者の関口鉄夫氏の発表の順番だったかな。それぞれがすごい人で、特に最後の関口氏の発表は、国や自治体が発表している環境に関する数字は嘘ばっかりという、かなり衝撃的な内容を含んでいた。川田氏も「マスコミは信用できない」と言っていた。
最近いろんなところから「マスコミは信用できない」という声を聞く。以前からそのようなことを言っていた人はいたが、その声の数がものすごく多くなってきているのと、社会的に発言力がある人が言うようになってきていることを考えると、女性の感性からは「これ以上マスコミの言うことを信用する社会が続いたら危ない」、男性の感性からは「マスコミを『長いものに巻かれる』の長いものと見なす時代は終わった」のかもしれない。そこまで男女差を単純化してはだめかもしれないけど。
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会が終わった後、発表者や司会の人たちのうち、ほとんどの人に紹介していただいた。川田悦子さんは先に帰られたようで、お話しできず残念だった。ついでに懇親会にも誘っていただいた。懇親会の会場も、病院までは歩いて10分もあれば行けそうな場所だったので、参加させていただいた。
他にももちろん仲良くなる方法はたくさんあるけれど、仲良くなるには一緒に乾杯してごはんを食べるのが一番いいと思う。フォーラムでは交流を持てなかったたくさんの人と、仲良くなることができた。お座敷だったので話ができなかった人もいるけど、何人かの人とは新しい「絆」ができた気がする。この絆が活きてくるかどうかは、今後の運命に任せる。おかしな網に絡め取られたりしないことを希望。
というわけで、今日は朝から夜まで丸一日、「反原発」の勢いの中で原発について考える日になった。今の私の理解では、原子力発電所の安全性は、追突脱線死亡事故を起こした中国高速鉄道と同じレベルのものだったのだと思う。当局が「安全だ」「安全だ」と言うのを信用していたが、中で働いている人や外でも気がついている人は「危険だ」と思っており、しかしその人たちが発していた警鐘は私のセンサーが引っ掛からず、「多分大丈夫だろう」と思っていた。
事故が起きた今になっても、根本的には変わっていないのに「良く点検すれば大丈夫」と当局(政府も監督官庁も電力会社も関係する会社もお抱え学者も全部)が言っても、それを信用しろというのは無理がある。
私は今のところ、原発絶対反対論者ではない。論者というほどのものでもないし。「これこれこうなっているから、このような事態にも対応できるし、このような事態にも対応できる。だから予想される災害やテロの倍の強さの衝撃が襲ってきても大丈夫」と、納得できる説明がされる原子炉やその他の技術がもし開発できるのなら、それは考慮する価値があるかと思う。
でも今の時点で(米国ではさらに安全な原子炉が開発されたりはしているし、福島第一原発の1〜5号炉は最も災害に弱いタイプだったということはわかっているけれど)原子力発電所に対して「大丈夫」という印象は、どうしても持てない。今日本中で運転されている原子炉はすべて、日本の地殻が不安定になっている今年3月以降に運転を続けるべきではないのではないかと思った、長〜い1日でした。
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