昨日(3月20日)、地震と津波から丸9日たって、80歳の女性とその孫の16歳の男性が、倒壊した家の中から救出された。その様子をTBS系のテレビで見たが、マスコミの酷さが目について辟易。
80歳の女性が救出される時、TBS系列のテレビカメラは一番近い場所から画を撮ろうとして、明らかに救助活動の邪魔になっていた。「マスコミの皆さんは下がって下さい」と静かに注意した救助隊の人は、雰囲気を悪くしてはいけないという大人の配慮があったのだろうが、ブチ切れてもいい場面だと思った。
意識状態の把握や、身体状況の把握もしなければならない場面だと思うのだが、テレビカメラは80歳女性の「顔」を撮りたくて、自分が救助隊の邪魔になっていることなんてお構いなしだ。至近距離から撮っているそのテレビカメラの前に、さらにカメラを突き出しているやつもいる。何を考えているんだ。
9日間耐えて生き延びて、ようやく救助されたばかりの、疲れて体も冷え切っている人に対して、救助隊が状態や身元を確認するために最低限の質問をするのはしょうがない。しかし救助隊だけでなく、マスコミが矢継ぎ早に次から次へと質問を浴びせかける。余計な負担をかけてどうする。
続いて、これは救助翌日(つまり今日)の映像だと思うが、同じ家から救助された16歳の男性にも、何社も取り囲んで次から次へと質問を浴びせていた。「記者会見」だと言っていたが、ベッド上だった。男性は、明らかに疲れていた。休みたい様子だった。テレビのこっちでもわかるのに、その場にいるマスコミ人にわからないはずがない(ほんとにわからないのかも)し、医療関係者がやめさせるべきだ。
質問も、どうやって生き延びたかとか、助かった時はどういう気持ちだったかとか、元気になったら何をやりたいかとか、そんなの今の休息よりも全然大事な質問じゃないだろう。「何をやりたいか」の質問には、健気に「あんまり、考えてないです」と答えていたが、私が同じ立場なら「疲れているから休ませてくれ」と言うか、眠気に負けた振りをして答えないと思う。
ギリギリで助かった人への取材は、後からでもできる。同じようにギリギリの状態でどこかで生き延びているけれど、命が消えそうになっている人がいるかもしれないと考えたらどうだろう。これまで救助の手が行き届いていない地域をくまなく探して、そのような人を見つけて救助につなげたら、特ダネになるしマスコミの評判も上がるぞ。
マスコミの腐りっぷりはこのブログでも(今までは「マスメディア」って大体書いていたけど)たくさん書いてきたが、頭のおかしい人、おおよそ日本人の風上にも置けない人ばっかりがいる業界なのだろうか。
被災地の避難所などでは、民放は見ると腹が立つので見ないという人が多いらしい。明るい話題は欲しいし、復興はもちろん全力で始めなければいけないが、今はまだ助かっていない人がいる段階だ。ライフラインが断絶されたままの被災地の病院にいる人、避難所ではないところで避難生活を送っている人もまだいるはずだ。避難所の環境も過酷で、子供が亡くなっている避難所もあるという噂がある。その人たちを「震災関連死」させてはいけない。
マスコミは安全なところにホテルを取って、タクシーで被災地へ通っているらしい。全部が全部じゃないとは思うけど。非常時にそんなに恵まれていれば、目の前にいる被災者のことも、他人事になるのかもしれない。深刻そうな声を出しても、今のテレビは性能がいいから、本心から言っているかうわべだけかなんて簡単にわかる。テレビのこちら側で勝手なことを言って申し訳ないが、今送られてくる映像は、ほとんどが「視聴者が見たくない」画だ。
被災地への支援は、これからが大変だ。規模が余りにも大きいので、日本中が力を合わせて長期間支え続けなければ、東北地方太平洋岸全体が沈滞してしまうかもしれない。被災地域に住む人たちに、注目されなくなったら、支援が途切れてしまうと心配させてはいけないと思う。国が支える仕組みはもちろん必要だが、継続的な支援をできる仕組みも、考えた方が良いのではないかと思う。日本人は忘れるのが上手な国民だから。
史上空前の内部留保を貯め込んできた一部上場企業などは、この事態に備えて貯め込んでいたのだろうから、気前よく復興のために使ってほしい。お国の一大事にケチケチしてるような「大企業」は、世界からそっぽを向かれるぐらいに「グローバル化」は進んでいるって、知ってるのかな。世界に「Buy Japan」運動を巻き起こすのは難しい世界情勢だと思うけど、不買運動は簡単に盛り上がる時代だよ。脅すわけじゃないけどね。
話は戻って、テレビ。お笑い番組などが、早くもいつもの体制で放送されている。「笑っていいとも!」って、そんなわけないだろう。笑ってる場合じゃない。今笑えない状況にいるものすごく沢山の人を笑えるようにするのは、今はお笑い番組じゃない。バラエティ民放各局が通常体制に戻ることで、それを見て日常に戻った気がしている人たちと被災地は隔離されていく。
マスメディア各社は、今回の地震の名称についても、統一しようという気配はない。公式には「2011年東北地方太平洋沖地震」(気象庁命名)だと思うが、それぞれ次のような名称を使い続けている。どれでもわかるけど、そんなところで自己主張しないで統一してもらった方がすっきりする。
<名称> <使用している機関・団体>
東北関東大震災:NHK、日本赤十字社、中央共同募金会
東日本大震災 :朝日新聞、時事通信社、ウェザーニューズ、
共同通信社、共同通信加盟社(産経新聞、フジテレビ、
毎日新聞(3月12日午後から)、東京新聞、中日新聞、TBS)
東日本巨大地震:読売新聞、日本経済新聞、テレビ朝日
東日本大地震 :日本テレビ、TOKYO FM、テレビ朝日、BS11デジタル
3.11大震災 :河北新報社(3月14日から)
海外メディアでもいくつかの呼称が使われているが、「Japan earthquake」というのが多くなっているらしい。ただ外国のメディアも、自分のところにも降りかかるかもしれない原発の方が気になるらしく、地震と津波の被害に関する報道はかなり少なくなってきている。両方合わせて「Japan crisis」とするものも出てきた。リビアの方が扱いが大きい。
東北地方の太平洋側は、まだ被災の真っ只中だ。「被災したのは自分だけじゃない」という連帯感と、非常時の高揚した気分と、まだ続いている体力・気力と、日本中から届いている人的・物的支援などによって、何とか頑張れている状況だろう。しかしこれまで町があったところ、家があったところに何もなくなってしまったのを見て、途方に暮れている人も多い。そういう人たちの心が折れずに、日常を取り戻せるまでには、かなりの時間と力が必要になるだろう。
「よし。やろう」とみんなが力を合わせる助けになるなら、テレビにも価値を認めてもいい。戦後はみんなが大変だったから、街頭テレビの力道山は力をくれた。でも今のテレビの娯楽は、そのような力にはなっていないと感じる。見なきゃいいだけの話ではあるが、日本をダメな国にするのにとっても力を発揮しているように思えた。
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