前の記事にからめて、これからの医療費について、少し考えてみる。
前の記事に書いたように、がんと上手に共存するための医療は進歩してきたが、そのために必要な医療費も高騰してきた。つまり、がんと上手に共存しようとしたときに、今後一番問題になってくるのが医療費である。完璧に治ればその後は医療費がかからないが、共存する場合にはがんを抑えるための医療費がかかり続ける。これからのがん医療を考えるときに、医療費の問題は避けて通れない。
がんとの共存に役立つ新しい薬は一般に非常に高価であるが、一般の新製品のように「新しいから高い」という理由よりも「製造に高度な技術を必要とするため値段が下げられない」という理由の方が大きい。つまり、時間がたって新しい薬ではなくなっても、値段は大きくは下がらない可能性が高い。がんと上手に共存するためには、今後もかなりの医療費が必要になると予想される。
現在でも「治療は続けたいが、経済的なことを考えるとこれ以上は無理」という人が、すでに出てきている。治療の単価が上がってきていること以外に、医療費の自己負担割合が段階的に引き上げられてきた影響も大きい。今後、がんと上手に共存する医療がさらに発展していけば、この問題はますます深刻になっていくだろう。
経済的な理由で治療が受けられない人を増やさないためには、がんと共存するための高額な医療にもきちんと医療費が手当てされるような仕組みが必要になる。現在は「高額療養費制度」というものがあり、巨額の医療費がかかっても、毎月一定額(多くても十数万円)を超えた分は戻ってくる仕組みになっている。がんと共存する医療を受けている人には、この制度の恩恵を受けている人は多い。
しかし、がんと共存するための医療がもっと普及してくれば、高額療養費制度の存続自体が危うくなり、見直しの議論が高まってくるだろう。財源が無尽蔵にあれば見直す必要はないが、国も健康保険も両方とも苦しくなってきているので、見直しに進む流れは必然と思われる。そうなってくると「お金の切れ目が命の切れ目」という世の中になってしまう危険は非常に大きい。
日本の「皆保険制度」は、貧富の差なくすべての国民が一定水準の医療を受けられる、世界でも一番成功した制度だと評価されている。この制度の基本は維持しながら、高額な医療を提供し続けるというのは、かなりの難題であろう。拙速な議論は避けなければならない。
一部で議論が進んでいる「混合医療の導入」は、お金持ちは受けられるがお金がなければ受けられない医療ゾーンを設定しようという話だ。経済界を中心に強力に導入しようという圧力があるが、導入しようと旗を振っている人は全員がお金持ちだ。国民みんなが幸せになろうと考えているようには、どうも思えない。
混合診療というのは、健康保険でまかなう医療と、全額自費で払う医療を、同時に受けられるということである。現在は、自費で支払う医療を受ければ(差額ベッド代は除く)、本来健康保険が使える医療費も全額自己負担しなければならないことになっている。受けたい医療が受けられるのであれば、混合診療の導入は構わないではないかという意見には一理ある。問題は、保険が使える医療と全額自己負担の医療を、どこで線引きするかということだ。
歯科にはずっと前から混合診療が導入されている。「保険だとこの歯です。一方こっちの歯は見た目がとてもきれいですが、保険がききません」というやつだ。なぜこの制度が続いてきたかというと、保険がきかない部分は命にはかかわらないからだ。いってみれば「ぜいたくするかどうか」の境目に線が引かれていたということだ。
医療に混合診療を導入するとした場合も、この原則を貫くのであれば問題は少ない。しかし公的医療費を抑制するために、「この医療はぜいたくかどうか」ではなく「高額な医療費がかかるかどうか」で線引きしてしまったら、大きな問題になる。ことばは悪いが「貧乏人は早く死ね」という制度になってしまう。
日本の抗がん剤の認可は遅いと、厚生労働省や薬事審議会はマスコミから叩かれている。「世界で標準となっている薬が日本で使えない」とキャンペーンのように報道している新聞社もある。確かに日本の薬剤の承認業務は圧倒的な人手不足だが、医療全体を考えて「保険で普遍的に使ってもいい薬」を承認していることも影響している。米国のように、安全性と有効性を確かめて「使っていいよ」といえば済む国とは、承認の性質が違うのである。
米国は、お金がある程度以上あれば民間保険、お金がなければ公的保険、その間のどちらの保険にも入っていない人が国民の2割以上いる国である。承認されている薬でも、値段が高いものは、公的保険の人や無保険の人が使えないだけでなく、民間保険に入っている人でも保険会社が承認しなければ使えない。
1回の治療で1000万円かかる薬剤も、米国では承認されている。しかしこの治療の効果がある病気になれば誰でも受けられるわけではなく、受けられるのは高い保険に入れる、ごく一握りの「勝ち組」だけである。勝ち組でない人がこの治療の恩恵を受けようとすれば、莫大な借金をして受けるしかない。米国の自己破産原因の第2位が、医療費による負債だといわれている。まさに「金の切れ目が命の切れ目」の、悲しい社会のように私には映る。
日本の皆保険制度は、現在の形のままの存続は難しいといわれている。しかし、米国に倣うのだけはやめておいた方がいい。大多数の国民の気持ちをうなだれさせる医療制度になってしまう。何とか現在の基本を堅持しつつ、命にかかわる部分の医療は保険でまかなえる制度にしていってほしい。
医療のコストパフォーマンスを基準に、コストパフォーマンスの悪い医療は自費にするという手もある。巨額な費用がかかって少ししか延命効果がない治療は、保険がきかないことにするという方法である。しかしこれも、肺がんに対するイレッサのように、一般的なコストパフォーマンスは悪いが「この人には良く効く」という症例をどうするかが問題になる。良く効く人だけに保険が使えるようにするためには、個人個人のコストパフォーマンスを評価しなければならなくなるが、医学にはまだその力がない。全体的なコストパフォーマンスで評価すれば、良く効く人には「金の切れ目が命の切れ目」になってしまう。
それ以前の問題として私が一番気になっているのは、国は日本の医療費をどこまでも絞ろうと考えているのではないかということだ。日本は先進国中で医療費抑制に最も成功している国だ。しかし医療現場はそのおかげでかなり疲弊してきており、ところどころ破綻しはじめている。
厚生労働省(旧厚生省)が財務省(旧大蔵省)と手を組んで医療費抑制に走ってしまったために、現在では日本の医療費は先進国中で最も低い額(GDP比)に抑え込まれている。日本より多くの医療費を使っている国々の医療が崩壊してきているのに、日本の医療は部分的に崩壊は始まっているが全体としては何とか踏みとどまっている(と思う)。
ここらで一つ、日本ももうちょっと医療費を使ってもいいことにしたらどうかと思う。国は「医療費のおかげで国の財政が苦しくなっている」ようなことをいうが、実際にはそうではない。その他のさまざまな「無駄遣い」や「政策の読み違い」の方が圧倒的に責任が重い。
諸外国と比較すれば、現状から日本の医療費が多少増えても、国の財政や経済を圧迫することにはならないはずだ。製薬会社は史上空前の利益(売り上げではない)を上げているところも多い。医療で経済を活性化するという思考がどうして出てこないのか、不思議に思う。
経済界主導で医療の仕組みを「一握りの勝ち組のための医療」にしてしまうのではなく、国民全体が安心して過ごせるような仕組みにするように、国の舵取りに期待する。