国の政策による後押しもあって、現在日本中に緩和ケアが広まりつつある。緩和ケアがあらゆる医療現場に行き渡ることによって、専門に緩和ケアを行う緩和ケア病棟・ホスピスは不要となるのではないかという、東京新聞の(個人的?)意見。
記事は次のとおり。
【大阪】私説・論説室から:ホスピスは不要の時代に
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2010010602000069.html
2010年1月6日【東京新聞】
大阪市北区の総合病院「北野病院」(七百七床)の副院長で消化器外科医の尾崎信弘さん(54)は「ホスピス(緩和ケア病棟)が将来とも必要だろうか」と意表を突くことを言った。
わが国のホスピスは、診療報酬上の優遇もあって一九九〇年代初頭から全国に広がった。ホスピスの果たした役割は大きい。以前はがん末期などで痛みのあるのは当然とされていたが、ホスピスでの医療用麻薬などの適切な使用で多くの場合、最期まで苦しまなくてすむようになったからだ。
「治療手段が限られているときには、すぐに緩和ケアをするしかなくなってしまう。だが治療法はどんどん増え、治療と緩和ケアを同時に行う時代にきている」と尾崎医師。「どんな病棟であっても緩和ケアが適切に行えればいいわけです」と強調する。
最近のがん治療は各診療科の協働作業になってきた。治療の選択肢が広がったのはいいが、担当医がコロコロ代わることで“見捨てられた”と不安を抱く患者が増えてきたという。
北野病院では外科医の尾崎医師らが手術後の患者について、必要に応じて院内の緩和ケアチームに疼痛(とうつう)緩和をしてもらうが、主治医としての責任を最後まで果たす方針を貫き、患者の不安解消にも努めている。
緩和ケアが広範に行われ、医療スタッフによる支援体制が充実し、ホスピスが不要になる日が待ち遠しい。(日比野守男)
(記事ここまで)
全国各地の「がん診療連携拠点病院」を中心に、緩和ケアの実践的な講習会が盛んに開かれており、多くの医療現場に緩和ケアが浸透しつつある。それがすみずみまで行き渡れば、「緩和ケア病棟」「ホスピス」(両者は同じようなものと思ってもらっていいです。以後「緩和ケア病棟」で統一)が不要になる日が来るという考え方も、理解はできる。
しかし緩和ケアを専門とする医療機関に勤めている私としては、専ら緩和ケアを提供する「緩和ケア病棟」の必要性は、緩和ケアが多くの医療現場に行き渡ってさらに重要視されるのではないかと、この論考とは逆の意見を持っている。そう考える理由をいくつか示してみる。
一つには、現在「緩和ケア講習会」として広く普及に努めている内容が、どちらかというと「緩和ケア」というよりは「緩和医療」に重心が偏っている気がするからである。緩和医療は、緩和ケアのうちの医療的な部分を指す。つまり、緩和医療は緩和ケアの一部ではあるが、全てではない。
講習会ではケアに関する内容も含まれているが、十分とはいえない。緩和ケア病棟では、どこでもとはいわないが、非常に高度で深い「ケア」が時には提供される。全ての医療現場に十分なケアが行き渡れば緩和ケア病棟は要らないかもしれないが、そこまで行くのには永遠に近い時間がかかるのではないかと思う。それまで待っているよりは、深いケアが必要な人に対応できるような緩和ケア病棟が、あった方がいい。
次は、状況の変化に合わせた適切な場所として、緩和ケア病棟があるべきだという考えである。緩和ケアの現在の定義を要約すると「命にかかわる病気で困ったことが起きていれば、それに対応するのが緩和ケア」である。
命にかかわる病気によって起こる困ったことの内容は、非常に多岐にわたるが、「命の終わりが近づいてくること」も当然その中には含まれる。そのような状況になった時に、治って退院していく人や治すための治療を頑張っている人と、命の終わりを見据えて全面的に緩和ケアを受ける人が同じ場所で過ごすことが、必ずしも適切だとは思わない。
日本の社会全体が死をもっと深く見つめて、誰もが「いつかは自分もあちらの世界へ行く人」と自然に思えるような社会が出来上がったら、治療を頑張っている人が亡くなっていく人を涙を浮かべながらも笑顔で見送るようながん治療病院ができるかもしれない。でもそれを求めて実現していくのには、やはり永遠に近い時間がかかるのではないかと思う。
またそのような状態では、治すために頑張っている人は治らない状態の人に、治らない状態の人は治す治療を頑張っている人に、お互いかなりの気遣いを必要とする場面が出てくる。そのような余裕が、がんを抱えた人にあるかどうか。余裕がないのは本人のせいではないが、気遣いができない人は駄目な人と烙印を捺されてしまう危険もある。
それよりは、治す治療の効果よりもデメリットが多くなった人や、治療の効果が現れなくなった人、治療はもういいという人が、治すために頑張っている人への気遣いをしないで過ごせる場所として、緩和ケア病棟は最適なのではないかと思う。
三番目は、高度な緩和ケアを提供する場所としての、緩和ケア病棟の存在意義である。現在全国で行われている緩和ケア講習会は、緩和ケアの入口からちょっと入ったところまでの内容である。興味や必要性がある人はそこから勉強して知識や技術を身につけるだろうが、緩和ケアの世界は幅が広くて奥が深い。
高度な緩和ケアを必要とする人と一口にいっても、目の前で困っているその人が楽な状態になるための知識や技術は実にさまざまなものがあり、それを適切に選んで施行するのが、緩和ケアのプロである。そのような場面に多く遭遇し苦悩し習熟した人の方がより適切に対応できるのは、医療に限らずどのような仕事の現場でも同じだと思う。
緩和ケアのプロは「問題を見分ける目」のレベルも習熟度が高く、この患者さんはプロの仕事を必要とする人だと見抜くことができる。プロでない人が見ていた場合に、問題があることそのものが見過ごされている実例は、かなりの医療現場で実際に経験している。より高度な、あるいは全面的に緩和ケアを必要とする人が集まっている緩和ケア病棟であれば、プロの目に晒される機会も必然的に多くなり、問題点を見過ごされることも少なくなるのではないか。
このような理由から私は、全国津々浦々まで緩和ケアが行き渡ったとしても、緩和ケア病棟の必要性は高まることはあっても無くなることはないのではないかと考えている。実際に各地のがん診療連携拠点病院では、自分のところで最後の瞬間まで責任を持って看る緩和ケアチームがあるところは少なく、治療を終了した人の引き受け先は地域の中小病院や在宅療養支援診療所などになることが多い。しかしそこには十分な緩和ケアがない場合も少なくない。
全面的に緩和ケアを受ける形態にはいくつかあり、中でも国は在宅緩和ケアを積極的に推進している。しかし在宅緩和ケアは、医療従事者の移動に時間がかかる効率の上げにくい医療形態であり、患者さんが一か所に集まっている緩和ケア病棟の方が少ない医療従事者で多くの緩和ケアを提供できる、効率的な形態だと考えている。
私が働いている長野地域には、2つのがん診療連携拠点病院と2つの緩和ケア病棟があるが、がん診療連携拠点病院から緩和ケア病棟に紹介される流れが、明らかに出来上がっている。これを「流れ作業」と揶揄する人もいないではないが、より適切な医療を受けられる体制へ、遅滞なく移行できるメリットは非常に大きいと感じる。
日本の社会が、誰でも隣人の死を冷静に受け止められるようになって、どの医療現場にも緩和ケアのプロがいつでもいるようになれば、緩和ケア病棟は要らなくなるかもしれない。しかしそれを目指すよりは、治すことが目的で頑張っている人に適した病棟も、全面的に緩和ケアを受ける人に適した病棟も、地域の中に有機的な連携を持って別々に存在した方が、無理なく適切な医療が提供できるのではないかと、私は現時点では考えている。