9月19日付の朝日新聞朝刊1面「分裂にっぽん 揺らぐ『約束』」第5回(最終回)は、医療や介護を絞りすぎて現場が崩壊しているという記事だった。ようやく現場の実態が、徐々にではあるが明るみに出るようになってきた。
前半は、勤務医が激務に耐えきれず退職し、救急などの医療をやめざるを得なかった病院が続出している例を挙げている。市内唯一の救急病院が救急の看板を下ろし市民生活に直結する危機が生じている、だれでもどこでも医療が受けられるはずの国民皆保険制度が、実質的には機能しなくなっているという話だ。
北海道の江別市民病院(12人いた内科医が9月末でゼロの見込み)、新潟県の阿賀野市立水原郷病院(26人のうち11人が4月までに退職)、茨城県の北茨城市総合病院(27人のうち12人が昨年度に退職、現在21人)、千葉県の国保成東病院(内科・泌尿器計10人が4月でゼロ)、愛知県の新城市民病院(ピーク時34人が現在20人、昨年度8人減少)、京都府の舞鶴市民病院(内科医集団退職などで31人いたのが現在1人)など、公的病院の多くが医師不足で困窮している。
政府は20年あまりにわたって、考えられるさまざまな手段を使って、医療費を絞り込んできた。また、医師数も、日本の現状と将来見込みに合わせて適切な医師数を考えることをせず、医師数が多いと医療費が高騰するという理論に従って、医師数を抑え込んできた。日本の医療費は、先進国中の比較ではダントツに安い状況になっている。医療もここまでは「なぜこんなにひどい仕打ちが次から次へとされるのだろう」と思いながらも、何とか踏ん張ってきた。しかしそれも地域によっては限界を超えている。そしてそのしわ寄せは利用者(患者)に回る。
後半は、介護保険の話。今年4月の介護保険制度見直しで、今まで「要介護1」と認定されていた人の7割程度が「要支援」の認定になる見通しだと書いている。今まで介護保険を利用して1割負担で借りられていた電動ベッドが、全額自己負担となる。ベッドの助けを借りて日常生活を続けられていた人は私のまわりでもたくさんいるが、ベッドを借りられなくなったら、それをきっかけに寝たきりに進んでしまう懸念は少なくない。寝たきりになればまた要介護認定になって介護保険でベッドが借りられるが、寝たきりを増やす政策はこれまで聞いたことがない。
介護に関する会議も「この人の介護の何が削れるか」という議論に終始してしまい、介護の現場でも「もう辞めたい」という声が聞かれると書いている。介護費用を削らざるを得ないのは、介護保険で支払われる金額が要介護から要支援へ変更されると激減するからで、必要な介護を提供すればどこも大赤字になる。介護の現場を支えてきた有能なケアマネージャーがいなくなると、あとは「削れ削れどんどん削れ」という人に任せられることになる。
6月22日の経済財政諮問会議で小泉首相は
「歳出をどんどん切り詰めれば、やめてほしいという声が出てくる。増税してもいいから施策をやってくれという状況になるまで徹底的にカットしなければならない」と言ったと書いてある。「私の任期中は消費税増税はありません!」と言っていながらこの発言。下々のことはどうでもいいという小泉首相の基本姿勢が透けて見える。
この経済財政諮問会議は、本当に日本の国民のことを考えているのかどうか、疑問に思うことがよくある。今週の週刊朝日の中に、安倍官房長官について野中広務氏が述べたコメントがあり、その中に経済財政諮問会議のことも出てくる。医療と福祉だけは、この会議の流れの中に巻き込まれてはいけないと感じているが、どうも着々とこの会議の考えるレールに沿って「スクラップ&ビルド」が進みつつあるような気配である。というか「ビルド」は国民のための作戦ではなく、専ら経済界のための作戦にしか見えないので、国民にとっては「スクラップ(ぶち壊し)」だけが進行している。
厚生労働省は本当に今の政策が日本の将来のためになると考えているのだろうか。国民に安心と納得を提供できない政府は、良い政府ではない。どうして財務省と結託して、国民を苦しめる政策を積極的に推し進めているのか、理解に苦しむ。国民の健康を守るための政策を打ち出せないのなら、「厚生労働省」を名乗る資格はない。少なくとも小泉首相や安倍官房長官や川崎厚生労働大臣より医療のことがわかっている官僚はたくさんいるはずなのに、いいなりの無策や愚策だらけの厚生行政には、ほとほと嫌気がさしてきた。