週刊医学界新聞2009年8月10日号の冒頭には「新型インフルエンザ ーまだ来ぬ『第一波』に備えよー 」という押谷仁氏(東北大学大学院医学系研究科微生物学分野教授)の記事が載っている。医療関係者はもちろん、厚生労働省や保健所の人にも、できたら一般の人にも読んでおいてほしい文章だ。
記事はWeb上に公開されている(→
「新型インフルエンザ ーまだ来ぬ『第一波』に備えよー 」)ので、ここではポイントを抜き出してみる。
・現在新型インフルエンザは世界中で感染が急拡大している。
・WHOは今回のパンデミックを“moderate”と表現している。これは“severe”ではないが“mild”でもないということ。
・新型の致死率がどのあたりに落ち着くのかまだ不明だが、季節性の0.1%と同じとして、新型に感染する人数が3000万人としても、死者は約3万人になる。(季節性インフルエンザでも1998―99シーズンには3万人以上の死者が日本で出ている)
・今回の新型インフルエンザは、感染後の二次的な細菌性肺炎ではなく、新型インフルエンザウイルスによるウイルス性肺炎で死亡していることが、通常の季節性インフルエンザとは異なる。
・ニューヨークでは、これまで909人が入院し、47人が死亡している。25〜65歳のグループが、入院者数・死者数とも多い。入院患者の8割がリスクファクターを持つ人で、中でも喘息を持つ人の入院が多い。理由はわかっていない。
・重症化例の病態は「ウイルス性肺炎+ARDS」。
・日本ではまだ「大規模流行」は起こっていない。つまり「第一波」はこれから。
・ニューヨークでは早期に学校閉鎖を解除したが、その後に急速な感染拡大が起きている。日本の学級閉鎖はあるていど効いているのかもしれない。でもいずれ大流行は来る。
・大流行への備えが、日本では不足していると感じる。ニューヨークでどのようなことが起きているか、知っている人はほとんどいない。ニューヨークでは罹患率5%の段階で、医療に大きな負荷がかかり、一部では医療の機能不全が生じた。
・日本ではそれ以前に「医療崩壊」なのに、大流行が起きれば人工呼吸器の不足など、深刻な事態になる懸念がある。
・産科も著しく不足し集約化が進められているが、新型インフルエンザで重症化した妊婦と、妊娠高血圧や妊娠糖尿病などリスクを抱えた妊婦が同じ施設に入院するリスクが高くなる。
・日本にはポジティブな部分もある。タミフルの備蓄が多いとか、保健所がすみずみまで整備されているとか。
・(最後のまとめは全文掲載)
「今後,感染拡大を抑えられない状況がどこかで来ます。その時点で自治体や保健所が行う公衆衛生上の対策は限界を迎えて,そこで医療の力が試されることになります。
大規模な流行が起きると,必ずと言っていいほど,社会の弱い部分が大きな被害を受けます。つまり,医療崩壊が起きている地域など,日本の医療の弱点を突かれて感染被害が拡大する可能性が高い。日本の医療の弱点はどこで,それを補強するためにはどうしたらいいのかを皆で話し合う必要があるでしょう。早期に治療して重症化リスクを下げる,重症化してしまった場合にも救える命をできるだけ救う。そういう体制づくりを,今真剣に考える必要があるのだと思います。」
(記事要約ここまで)
新型インフルエンザA(H1N1)による死亡者数は、最初に爆発的な流行で急増したメキシコよりも米国の方が多くなり、現在冬に入っているブラジルやアルゼンチンではさらに多い死亡者数となっている。
ワクチンがどれくらい有効なのか、まだできていない段階では何とも言えないが、重症者の多発によって医療全体が機能不全に陥ったり、日本中で多数の死亡者が出るのを、ある程度食い止める期待はできるのではないかと思う。
英国では、全国民に2回ずつ打てるくらいのワクチンを、製薬会社に発注しているそうだ。コストとベネフィットを比較すれば、おそらく得られる経済的利益よりは、はるかに大きなコスト負担となるだろう。しかしそれをすることで、英国民に大きな安心を与えられるものと思う。このことによるプラス効果は、経済には反映されないかもしれないが、英国民の安心と国への信頼を増やす効果は、非常に大きいはずだ。
押谷仁氏は本文中で「基礎疾患のない患者からも,非常に確率は低いかもしれませんが,重症化して死亡するケースが出ています。その場合,公衆衛生の観点からあきらめてもらおうというのが米国のドライな考え方ですが,日本で同じことは許容されないでしょう。そういう社会的背景も踏まえた上で対策を練らなければいけません」と述べている。たしかに「どんな時でも諦めずに全力を尽くす」医療従事者が多いのは日本の医療の良い点であるが、今の日本の医療には「何か突発的な事態が起きた時に対応できる余裕」が全くない。
つまり、日本の新型インフルエンザA(H1N1)対策は、医療従事者を含めた国民の持っている感覚と、これから起こると予想される事態とがかなりずれていることが、大きな不安材料である。大流行が起きてそのずれが顕在化した時には、さまざまなところに小さな、あるいは大きなパニックが起きて、国民も苛立つし医療従事者も無力感に苛まれるし、かなり悲惨な状況になるような気がする。
それを少しでも食い止めるためには、現状と今後予想されることを広く国民に知ってもらい、現在の医療には突発的な事態に対応する余力がないことも知らしめて、それなりの覚悟を今のうちからしておいてもらった上で、最も効率のよい対策の配分を考えていくのが良いのではないだろうか。
そのためには、厚生労働省も医療従事者もメディアも、どういう事態が予想されるかという情報を国民と正しく共有して、9月以降に本当の第一波が来た時の心構えと物理的な備えを、今からきちんとしておくべきである。できることに限りはあるが、やらないよりは良い。