がんになっても、あわてない

 という本(朝日新聞出版)を書いた医者の、なんでもブログ。

 
医療関係者向け資料集「緩和ケア医のらくがき帳」も、よかったらどうぞ。

プロフィール

平方 眞(ひらかたまこと)
 緩和ケア医師
愛和病院(長野市)副院長

カレンダー

2022年
← July →
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

過去ログ

カウンター

  • 本日のアクセス  
  • 昨日のアクセス  
  • 総アクセス数      
RSS
投稿者
メール

 
コメント
URL
コメントは新しいものから表示されます。
コメント本文中とURL欄にURLを記入すると、自動的にリンクされます。
投稿者:hirakata
山本直樹さま、おはようございます。

「ワルラス均衡」ですか。知りませんでした。でもいわれていることはわかる気がします。「自らの利得を最大化しようとする」っていいうことは、要するに「欲望のままに生きていく」ということですよね。秩序も規制もワルラス均衡を阻害するものであるということになり、そんな社会が健全であるわけがありません。なんでそんなのにみんなだまされちゃったんでしょうね。いまだに「規制は悪だ」と信じて疑わない金の亡者もたくさんいますし。

日本の社会は、市場原理主義がはびこるまでは比較的健全なバランスを保っていたと思うんですが、市場原理主義は「日本の良さ」の屋台骨そのものを蝕み続けているように感じます。

今回の選挙は、本当は「日本はどうあるべきか」を選ぶ選挙にもできたはずだと思うんですが、2大政党はそんなところとはずいぶん違う議論で、国民を翻弄しています。どんどん残念な国になっていくようで、医療崩壊だけでなく日本崩壊に進むのではないかと懸念しています。
投稿者:山本直樹
ワルラス均衡という単一経済システムへの収束を主張しているのが、市場原理主義的新古典派経済学です。人々の経済的意思決定と行動は、新古典派正当モデルが想定しているように、自らの利得を最大化しようとする個人の意識的な活動です。しかし、経済活動の全てが、人々の意識的レベルでの合理的行動だけで律せられているとはいえません。意識された利己的意思決定や行為であっても、それはその個人を無意識の深層で制約している親族制度や社会慣習と決して無関係ではないのです。地域的個性をもった公共性に裏づけられた他者との関係性のもとで、各個人は意思決定をおこなっていく訳だからです。複数の均衡という束のなかから、どのような均衡がある社会でえらばれるかは、その社会のたどってきた歴史や、その社会の人々が共有している自他関係を律する文化信念ないし価値観に依存します。どういう均衡がえらばれるにせよ、新古典派がイデオロギーの根拠としているような完全競争型市場が存在しえないことは確かなのです。どんな社会ででも、人々は不完全市場のなかで経済生活を営んでいます。そして、不完全である理由や不完全性のあり様は、決してどこでも同じではなく、非常に個性的なもので、それは、各個人の内部とも深く結び付いた社会活動の分泌物であり、決して完全なものにはなりえない。この事をはっきりと認識しておくべです。
AutoPage最新お知らせ