似た様なモデルを2台作る理由が判らない。
昭和19年5月に1号車ロールアウト。
翌年3月までに、車体は3箇所変更される。
昭和20年2月にロールアウトしたのが1号車の改装車なら、2号車は2号車として、また別に8月までにロールアウトしなければならないが、その記録が無い。
昭和20年2月にロールアウトしたのが1号車の改装車体なら、(記録が無い以上)チトは2台では無く1台しか作られていない事となる。
1台は水没、別の1台は押収の定説とは合わないが、米軍の調査レポートの完成車体は1台とは合致する。
昭和20年2月にロールアウトした個体が、前年とは別の個体なら、これ用の砲塔が無い。
「2台試製されたなら」
20.2に2号車車体ロールアウト、砲塔は1号車の改装砲塔を転用。
チヌ車と共に射撃試験。
2号車に砲塔を譲り、首無しになった1号車は昭和20年7月までに車体天板を改装し、ターレットリング径の大きな鋳造砲塔を搭載。
「2号車、2号車」と言ってるが、実はアレは1号車の最終状態では無いか?
昭和20年2月に三菱でロールアウトした車体こそ、結果的に2号車。
そして、その姿は見慣れた図面の車体+1号車の改装砲塔。
(鋳造砲塔をチヌに搭載した。とする一次資料があるらしいが、見た事は無い。
多分、改装砲塔=鋳造砲塔と脳内変換してるのでは?
それに、鋳造砲塔のターレットリング径は1700ミリでは無いので、チヌ車との互換性が無い)
三菱では実車の取り説も用意されている。
そんな状況で、1号車をシェイプして鋳造砲塔を載せれるだけの車輌を2号車として送り出す事にどれほどの意味があるのか?
「1台しかなかったら」
伊良湖で射撃試験後、砲塔を元にもどさずチヌ車体+チト1砲塔のハイブリッド車が配置変換。
チヌ砲塔を搭載したチト車は、鋳造砲塔に合わせて天板をボーリング。
それまでは一時的にチヌの砲塔を搭載。
「砲」だけで無く砲塔ごとだが、昭和20年夏までに三式戦車砲を搭載した。との記録とも合致する。
(これは2台の場合でも、そうだが)
「鋳造砲塔」
チヌ車車体に鋳造砲塔を搭載する為の鋳型変更案は車体レイアウト変更案に修正され、レイアウト変更案は、射撃試験後の砲架寸法変更案により廃案。
チヌ車砲塔の経始をチト車に転用したので、鋳造砲塔は廃止。
チヌ車砲塔を搭載したチト生産型の全体図の前段階の全体図があるはずだが、ターレットリング径が1700ミリ、、、あるいは、車体に合わせて描画されたその砲塔は、実際の砲塔より小さく機銃も搭載されていないのではないか。
「日本の戦車」掲載のレイアウト変更案の鋳造砲塔は、従前より「車体に合わせた物」と称されている。
「車体に合わせたものだから、実際のそれより小さい」と。
車体とは、チヌでは無くチト2号車(あるいは生産型)を指し、ターレットリングの大きな鋳造砲塔の径始を、ターレットリングの小さな前段階砲塔に合わせたもの。との意ではないか?
←Armor Model List , Guest Book ⇒

0