「ホンダ時代の話」と題していますが、そんなに偉そうな事はしていませんから、個人的な独断と偏見で進めるつもりです。かなりかたよった言葉や言い方を使うかもしれませんがご了承下さい。
89年〜97年の9年間、本田技研鈴鹿4年、本田技術研究所栃木5年在籍させてもらいました。実際は88年の9月に期間工(季節従業員ですね)として、博多で面接〜即採用で鈴鹿へ行きました。年齢(23でした)も若かったためか、「3ヶ月経てば正社員登用試験を受ける事ができる」と伝えられ、配属先へ。鈴鹿製作所はホンダの大衆車「シビック」工場です。生産ラインが当時は2ライン(後に3ラインになった)ありました。車体組立ラインは2交代制で、初心者にとってはものすごくハードな作業です。配属先は、エンジン組立ラインに部品を供給する部門でしたから、直接の組立ラインではなかったので、今から思うとラッキーだったと思います。そして、鈴鹿へ行った最大の理由である「鈴鹿レーシング」に入るため、部室(ガレージですね)へ出向き「入部したい」と伝えました。

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