「マーターズ」
原題/MARTYRS
監督/パスカル・ロジェ
出演/モルジャーナ・アラウィ、ミレーヌ・ジャンパノイ、カトリーヌ・ベジャン、他。
あらすじと解説(goo映画より抜粋)/
70年代のフランス。行方不明だった少女リュシーが衰弱した状態で発見される。彼女は長い間、監禁され、そこで拷問や虐待を受けていたが、自力で脱出したのだった。しかし監禁の理由は不明のまま。リュシーは福祉施設で育ち、15年がたった。ある朝、森の中にある閑静な住宅を訪問したリュシーは持っていた猟銃で一家4人を惨殺する。それはリュシーを虐待した家族だったのか。同じ施設で育った親友のアンナは死体処理を手伝うが、それはまだ事件の始まりに過ぎなかった。
『ハイテンション』『フロンティア』など、フレンチ(スプラッター)・ホラーがその種のファンの間で静かなブームを呼んでいるが、これは本国でもその残酷描写から年齢制限のレイティングをめぐり、話題を呼んだ作品だ。監禁、拷問を受けていた少女が成長し、猟銃で一家4人を問答無用で虐殺する。果たしてその家族が本当にリュシーを虐待していたのか? さらにリュシーの目の前に現れる謎の女。リュシーの友人であるアンナの視点も含み、中盤から映画は急展開。ネタバレになるので内容は書けないが、途中から??という感じになり、違う流れへと話は突き進んでいく。1本の映画に2本分のアイデアが入っているという意外性は面白い。ただし「拷問系」なので、残酷描写が苦手な人(はもともと観ないだろうが)には辛いだろう。
この「マーターズ」という映画の記事書くのこれで何回目なんですかね。
最初にこの映画を観たのは確か、今年の4月ごろだったか.....あまり大きな声では言えない「ある方法」を用いて、字幕もナシで、全編フランス語のこの映画を「空気読む」状態で鑑賞いたしました。それでもこの映画のインパクトは絶大で、この映画こそが「フレンチ・ホラーの最終兵器」であると確信。
で、8月になってから東京で公開されて、ここ京都は10月31日土曜日、京都みなみ会館のレイトショーが初日の初回となったわけですが。(わたしは初日の初回狙いでした。結構お客さん入ってましたよ〜)
なんだか「ハロウィン割引」とかで1000円ポッキリ超お得でございまして、今日は今日でファースト・デーなのでこれまた1000円ポッキリと2日連続で安く観れちゃいますから、京都にお住まいのホラー映画好きは今日この映画を観てきてらっしゃいませ。
そして打ちのめされて帰ってくればいいぢゃない。
映画の予告編にも書かれてありましたが、この映画はまさに
「21世紀のグラン・ギニョール」という文句がピッタリ当てはまります。わたし無知なもんで「グラン・ギニョール」とは何ぞや?とばかりに検索してみました。
●グラン・ギニョール(wikiより抜粋)
グラン・ギニョール(Grand Guignol)とは、フランス、パリに19世紀末から20世紀半ばまで存在した大衆芝居・見世物小屋のグラン・ギニョール劇場(Le Théâtre du Grand-Guignol)のこと。またそこから転じて、同座や類似の劇場で演じられた「荒唐無稽な」、「血なまぐさい」、あるいは「こけおどしめいた」芝居のことをいう。フランス語では"grand-guignolesque"(「グラン・ギニョール的な」)という形容詞は上記のような意味合いで今日でもしばしば用いられる。
グラン・ギニョール劇場は1897年、劇作家オスカル・ムトニエがもと礼拝堂であった席数約300の小劇場を買収、改装したことで始まる。劇場の名前自体はフランスの人形芝居における有名なストック・キャラクターの一つ、ギニョール(Guignol)に由来しているが、この劇場自体は人形劇でなく、俳優の演じる通常の芝居小屋であった。
そこでは浮浪者、街頭の孤児、娼婦、殺人嗜好者など、折り目正しい舞台劇には登場しないようなキャラクターが多く登場し、妖怪譚、嫉妬からの殺人、嬰児殺し、バラバラ殺人、火あぶり、ギロチンで切断された後も喋る頭部、外国人の恐怖、伝染病などありとあらゆるホラーをテーマとする芝居が、しばしば血糊などを大量に用いた特殊効果付きで演じられた。
個々の芝居はふつう短篇で、複数本立てで上演されることが多かった。観客動員数ばかりでなく、「観客のうち何人が失神したか」も劇の成功・不成功を測る尺度だった。
同座のために1901年から1926年にかけて100本以上の芝居を著し、「テラーの大公」(Prince de la Terreur)の異名をとった劇作家アンドレ・ド・ロードの時代が最盛期であったが、第二次世界大戦後の劇場は次第にマンネリ化が顕著になり、最終的には1962年、映画などとの競争に敗れる形で閉鎖された。
ま、要は「残酷な見せ物」というわけですね。
結局の所、ホラー映画だけでなく、映画というものは所詮「見せ物」なわけですから、思いっきり派手な事を見せつけて客を驚かしてナンボでございます。暴力すらも売り物。いや暴力だけでなく、死、戦争、幽霊、変態、ゾンビ、吸血鬼、そして恋愛や感動まですべてが売り物。
わたしたちはお金を払ってそういうものを「買って」いるのです。
そういう意味では「売り手」であるこの映画のサービス精神は過剰とも言える程で、これまで観てきたどんなホラー映画よりも重く、痛く、救いもなく、そしてただ残酷なだけでなく、そして邪悪なようであり実は「崇高な」ものすら感じさせる。
だから「買い手」は大満足よ。死ぬ程打ちのめされて劇場を後にするわけですから。
事前にこの映画を鑑賞していたおかげで、ある程度の心構えは出来ていましたが、やはり劇場で観てもこの「不快感」はいかんともしがたい。
手のひら汗ビッチョリで、歯ぎしりしながら鑑賞しておりました。
この映画、前半と後半が全く別物になっております。前半の血みどろホラー、後半の痛々しい拷問ホラー、まぁ確かにこの展開にはビックリさせられるし物凄く怖いんですけど、僕が特に怖いと思った点を一つだけ。
それは、前半リュシーが一家を惨殺した後、ソファーに寝そべって血まみれの自分の手を眺めてるシーン。
報道でたまに目にする「一家惨殺事件」のニュース。
犯人は犯行後しばらく現場に留まっていた、とかいうの、たまにありますよね。
中には現場で飯まで食べたりとか、被害者のフリして警察が油断したスキに逃げるとか。
リュシーったら、やることやったんだからさっさと逃げちゃえばいいぢゃない!というツッコミが聞こえてきそうな場面なのですけど、あの放心しきった表情......放心というか一種の恍惚の表情にも見えて、そこがものすっごく怖かったんです。未だ未解決のそういった一家惨殺事件の犯人たちもこういう状態だったのかなぁ、と思うと怖くて怖くて。
はたから見ると只のガイキチ女でしかないのだけど、物凄く哀れなのよ。
哀れで、そして美しい。
見た目ももちろん美しい人なのですけど(中国の植物学者の娘たち、とか見たら腰抜かすよ!)、外見的な美しさではありません。血まみれで唇なんかカサカサになってるのになんでこんなに美しいの。それはあまりにも哀れで儚い存在だから?
上手く説明はできないけど、僕は「美しい」と感じました。
さて後半は一転してウルトラ拷問映画へと変貌してしまうわけですが、描写として「痛み」を感じるのは寧ろこの後半部分。この後半の体感時間が異常に長く感じられて、酷く落ち込みます。この映画の監督さんは本当に意地が悪いなぁ、と思ったシーンがこの後半部分にありましてね。
それはアンナが「苦痛」を受け入れてしまう場面。
こっぴどい拷問を受け続け、死んだ筈のリュシーの声まで聞こえてこる。
抵抗することを止め、全てを受け入れる状態になった時に、劇中でものすごーく「優しい音楽」がかかるのです。もう、ここ思わず泣きそうになってしまいました....
絶望し、諦めて何もかも受け入れる。なんて悲しいの。
心がズキン、ズキン、と痛みます。
で、この映画の音楽を担当したのが「seppuku paradigm」....だったっけか。
切腹・パラディグムですよ。切腹ですよハラキリですよ。
名前があまりにもおもろいので、気になって一度YouTubeで曲を聴いてみたりしたけど、名前の異常さとは裏腹に実にクールな音を出すバンドでしてね。今度タワレコかHMV行ったときにでもチェックしてみようと思います。
さて、この映画のオチ。
アンナはマドモアゼルに何を言ったのか?
マドモアゼルの最後の言葉。
「疑いなさい。」
死後の世界は確かに存在する。それは殉教者アンナが証言した事。(MARTYRS、とは殉教者、または犠牲者、を意味し、語源であるギリシャ語では”証人”を意味する)なのに、疑え、とは一体どういう事なのか。そしてマドモアゼルは何故自ら命を絶ったのか。
劇中、アンナがマドモアゼルに何を言ったのかは一切明かされません。
だから、あとは観た人が、それぞれあーだったんじゃないか、こーだったんじゃないか、と色々考えて下さいネ♪って事なんでしょう。
おのれはミヒャエル・ハネケか!!
なんつうか怒りさえ覚える衝撃のラストだったわけですが、この鬼畜な映画で何故か感動すらしてしまったのは、
「見せ物」である映画の限界を超えようとした監督の意気込みを感じたからなのかもしれません。
では最後に、映画のパンフレットに載っていたパスカル・ロジェ監督のインタビューの一部を抜粋して、この記事を終わりにしたいと思います。
「もし、あらゆる映画が商業的実利主義の名の下に、時代の空気や流行を追いかけることだけに専念し、社会に平穏で無害なイメージを与えるだけの存在になったら、映画は表現する機能をなくしてしまう。観客を優しく撫でて、ウットリさせることに映画監督としての人生を浪費するのは本当に愚かだ。さもなければ、映画なんてメディアはもう終わりだよ.....。」
うん、おめー良い事言ったな。
マスターピースに
「LET THE RIGHT ONE IN」を挙げているあたり、流石。あんたとは気が合いそうだ。次回作期待してまっせー!!

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