生きた。描いた。
孤高の画家、田中一村。
南の島に燃えつきた、ひとりの画家の生涯。
「アダン」
監督/五十嵐 匠
出演/榎木孝明、古手川祐子、村田雄浩、加藤剛、不破万作、笹野高史、吉満涼太、木村文乃
今日観たこの「アダン」という映画は、いままで観て来た映画たちとは少し種類が違う。
僕自身、美大に通って絵を学んだ者として、この田中一村という画家は
「神」に等しい。つまり、今日は僕の中の「神様」に会いに行ったのである。
仕事が休みの日の僕は、朝 起きて顔を洗うがヒゲは剃らない。そして
朝っぱらからビールを飲んで、テキトーに食事して、外出して、また家に帰ってビール飲んで、ベッドで横になりながら映画観たりして、
シラフの時間は一瞬たりともない。仕事の日でも、さすがに仕事中に飲んだりはしないが家に帰るとソッコーでビール飲む。つまり、僕の日常は仕事以外では常に酔っている。
人間のクズである(笑)。
しかし、今日は神様に会いにいく日。朝、起きてシャワーを浴びる。
資生堂ツバキのシャンプーで髪を洗い、そして資生堂ツバキのコンディショナーで髪に潤いを与える(僕はロンゲなので、シャンプー関係には大変気を使っております。最近ツバキがお気に入りなの)。休日には剃らないヒゲもキレイに剃る。そして、神様に会うにはキチンとした服装でなければならない。本当なら、スーツ着るところだが・・・・実は今スーツ、あるにはあるんだけどとても着られるようなシロモノじゃない。じつに時代遅れの、
昭和のサラリーマンかお前は、というのしかない。かっこわるいことこの上ない。かといってTシャツだけではあまりにラフすぎる。衣装ケースを探したら、1着だけ、半袖のシャツがでてきた。ある人からプレゼントとして貰ったきり、着ることはなかったものだ。ようやく日の目をみることになったこのシャツ。少し運命のようなものを感じる。そしてキチンと髪をまとめ上げ、いつもよりパリッとした服装で愛車コブラ号(自転車です)にまたがり、「アダン」を上映している
「京都みなみ会館」へと向かった。
ここ、「京都みなみ会館」へ来るのは今回で2度目。以前は
「ホテル・ルワンダ」鑑賞の時だった。アダンの京都での上映は今日が初日。息を切らして映画館に駆け込むと、受付のお姉さんが
「アダンご鑑賞ですか?」と訊いてきた。
「あ、はい。そうです。」と僕。
「アダンご鑑賞先着20名様にこの本を差し上げることになってまして」
と、1冊の本を貰った。それは、
煌めく刻/映画「アダン」奄美大島ロケーション回想記
という本だった。定価だと2000円もする本を!!もうムチャクチャに嬉しかった。やっぱり映画は初日だネ♪たまにこういうサプライズがあるから。
この映画を観に来ていた客は、40人ぐらいだった。しかも、年齢層かなり高め。この中に、僕以外に
「島んちゅ」は何人ぐらい居るんだろうか?(なにを隠そう僕はバリバリの島んちゅ、奄美生まれの奄美育ちなのダーーー!!でも、いまどーいうわけか京都に住んでいる。ま、いろいろあるんですよ。いろいろ。変な詮索はしないこと!!)・・・しかし、見ず知らずの人に、「あんた島んちゅね!?」と訊くわけにもいかず(笑)。こんなコアな映画観にくる人はおそらく全員”島”関係なのかもしれん(爆)。
2時間19分の、神様との対面。
描く「鬼」と化した一村。
その狂気を、榎木孝明は演じ切った。晩年の一村は、もう「榎木孝明」という事すら忘れているようで、完全に「一村」になりきってた。
夜、あの あばら屋で、唯一の理解者 「宮崎さん」が訪ねていった時。
一村は、ろうそくの灯を頼りに、一心不乱に絵を描いていた。そして、宮崎さんに気がついて振り返る。その時の
目が・・・・・
いままで観て来たどんなホラー映画よりも怖かった。しかも、そのあとニヤッと笑うのである!!!もし、僕が宮崎さんならその場で小便洩らして走って逃げ出すだろう。
人は、鬼になる。
鬼になるまで突き詰めないと、真の意味で「芸術家」になることは出来ない。あ、芸術家、って言い方はちょっと違うな・・・・一村の場合、「絵描き」というのが最も相応しい。
一村の友人で、一村とは真逆の生き方をした画家、荒木(村田雄浩)。
この男は、僕を含めた我々凡人の、代弁者である。
一村の生き方に憧れはするが、それは決して、凡人に出来る事ではない。
一村でしか出来ない事なのだ。そこに、僕は恐怖すら感じる。全ての事を排除して、「絵」だけに人生を捧げられるか?・・・・・無理だ。
「絵は売らない。それは魂を売る事になるからだ。」
そう言い放った一村に荒木は「絵描きが絵を売る事のなにが悪いんだ!?」、そして姉を置いて一人 奄美に渡ることを決意した一村に、「おまえは馬鹿だ。」
「腐って死ね!!」
・・・・気持ちはわかるが、「腐って」、「死ね」って(笑)。
ヒドい言い草だけど、これが普通の反応なのである。僕は、この荒木に、全面的に、感情移入する。それは、僕が凡人に他ならないからであって、一村の生き方に異を唱えつつ、彼に憧れ続ける荒木は、まさに「僕」のように思えた。(最後自殺しちゃうけど・・・・・)
凄まじい、の一言に尽きる。この映画。
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