†ヽ(-"-;) No matter what may happen,I will beleive my willpower !?ヽ(-"-;)Ω南無南・・ Ωヽ(-"-;)南無南
一遍  幸せな話




「我が屍は野に捨てよ」という一遍を題名にしている本があって
早速読んでみたんですが、まー当たり前のことなんだけど主人公である一遍は物語の最後には亡くなってしまう訳でその死は堪えます。700年以上前の人ですので当然っていやー当然
なんですが、気持ちがドヨーンと凹む。

例の本を読むための得意技、最終章を読まなければ良かったと反省、(><)
本とはいえ愛する人物、いやいや愛するどころか神とまで
敬い奉る人ですからねー。

ただ今回の場合はいささか仕方のない部分もある。

一番興味があった臨終に際してこの文句を作者がどう描いたかを
、そのために一遍をどー描くかそのためだけに読んているのですから、仕方がないですよね。
最後まで読まざるをえないです(涙)


「我が屍は野に捨てて、けだものに施すべし」

作者は余りも一遍を普通の人と書き過ぎていた。これでは
読んでいる人は堪らない、涙なくして読むことは不可能であった。

お勧めできない禁断の書といえる(^^;

それと見解の相違もある、私は一遍は今でいうイスラム経で言うところの
スーフィー(イスラム教の多数派が戒律によって禁じる音楽や舞踏などを行法に用
い個我からの解放、そして神との合一を目指す人々、もしくは
教えを説いて各地を遍歴したりする者たち、ダルヴィッシュ)
的な人だと解釈していた。

もしくは一週間断食して踊り続ける行(踊念仏)というのは、ある意味トランス状態に自分をしてあの世の神と一体化するシャーマニズムに等しいのではないかという想像していたのである。

スーフィーの勃興は13−15世紀で丁度一遍の時期と重なるのは偶然だろうか?

スーフィーの起源はイスラム以前とする説もあり、私は人間が古来歴史を作る以前
から神との交流、もしくは異次元との交流への欲望、そのための技術的な
ものに一遍は近づいていたのではないかと推測していたのだ。

踊りは神に近づけのである、その証拠にまだ言葉も話せない幼い子供でも音楽を聴けば
踊りだす、誰が教えてもいないのにだ、楽しく、明るく踊りだす。
古代からの英知が遺伝子レベルに組み込まれているのだby シャナン

ただまーそんなことは一遍を評価するにとって些細なことでしかない、何故なら一番大切なことは一遍の愛にあるからだ。南無阿弥陀仏と唱えるだけでどんな人でも、信じようが信じまいが極楽浄土にいけるという思想は大いなる愛が無ければ不可能だからだ。
当時としては正に奇跡だと言える。
一遍に付き従う人々は男女半々であったらしい、これだけでも当時としては異様な
集団にみえたはずだ。
一遍にとっては身分、性別、仕事全てのものは関係なかったのだ。
空海達の密教がある意味男社会、もしくは貴族向けだったのに比べるとなんと
民に優しい方であろうか?
全てを施しに生きた人の生涯というのは余りにも眩しすぎて、まるで虹のように
輝いてみえた。
そして一遍が伝えたかったことの本当の意味はその光が誰の中にも存在するということなのだ。




後書き的に

一遍の行動は現代社会においては謎であると思う、理解できないし想像すらつかないであろう。
寺の寄進(寺を一遍のために作ってあげるのでここにいて欲しいと都で言われてる)すら拒否して全てを民に与え続けた男の価値観なんぞわかるはずもない。
乞食坊主として生きた価値観とは?

ヒントはある。

幸せの価値観である。


他人に施すこと、そして他人が喜ぶ姿それが一遍の幸せだったのではないか!?
それを究極的に高めた男が一遍であったのではないか?

そー考えると一遍という男が多少なりとも見えてくるのである。

念仏踊りをすることによって民が喜ぶ姿を見るのが一遍の究極の喜び
だったのだろう、大好きだったのだろう、そしてそれ以外は何も必要なかったのだ。


体重58.3kg
ベンチプレス55kg6回
チンニング     22回
スクワット(20kg付き)10回
Will FIT 約6分
600M ランニング




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