いくたびか掴みし乳房うづもるるほど投げ入れよしらぎくのはな 吉田隼人
「投げ入れよ」という(おそらく自分自身への)呼びかけは、葬送の手向けにしてはやや乱暴だ。死は簡単に人を聖に押し流す。この乱暴さは、死者の「乳房」に対して「いくたびか掴みし」という形容とともにそれに対する抗いと思う。「乳房うずもるるほど」の祝福に似た哀悼とともに示す、でも私の中では死んだくらいでいっしょに過ごした滑稽でみじめな生がチャラになるわけじゃないし、させないという倫理的意思だ。
(吉田隼人『忘却のための試論』書肆侃侃房、2015年)

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