唇をすべらせてふくハモニカのあるときは剃刀の香りして 加藤治郎
短歌を読んで恐怖を感じることはほとんどないが、この歌は文句なく怖い。歌の内容を字義通りにとれば、「ハモニカ」の金属臭が、同じ金属である「剃刀」の「香り」と同じに感じたということになるが、歌を読んだ実感としてはそれにとどまらず、「ハモニカ」が「剃刀」に変容してしまったかに見える。「すべらせて」が全てだとう思う。「ハモニカ」を「ふく」ことへの形容として「すべらせて」は的確すぎるぐらい的確だが、「剃刀」を「すべらせて」も連れてきて、口角を誤って切ってしまったように錯覚するのだ。いや、「剃刀」ではなく「剃刀の香り」とされていることで、<切った>よりももっと生々しい感覚、熱いような冷たいような濡れたわけのわからない、まさにひげそり時に「剃刀」を誤ってすべらせたような感覚を得る。自分の口角に触れて、何もないことを確認したくなる。
(加藤治郎『ニュー・エクリプス』砂子屋書房、2003年)

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