ああそうか日照雨のように日々はあるつねに誰かが誰かを好きで 永田紅
(日照雨:そばえ)
「ああそうか」と主体が気づいたのは、「誰かが誰かを好き」なことなのがいいなと思う。人はわりと自分の心に関心を向けがちで、「日照雨のように日々はある」と喩えたくなるのは、むしろ、思いがけない自分の恋心に気づいたときではないだろうか。でも、正確にいえば、「つねに」に「日照雨のように」という比喩は合わないので、「日照雨」に喩えられるのは、「つねに誰かが誰かを好き」な日々でなく「ああそうか」という自分の気づきがある日々だろう。自分の気づきに関心がむかっているが、ちょっとずれているのである。それも、誰も知らない「誰かが誰かを好き」なことに超絶感度で気づいたというよりも、主体は仲間内ではうわさ話が届かないタイプで、わりと分かりやすいまなざしや仕草で、衆知の事実にいまさら気づいてははーみたいになっている感じがする。それをとくに誰にも確認せず「日照雨」の通り過ぎた日々を過ごしていくのだろう。
(永田紅『北部キャンパスの日々』本阿弥書店、2002年)

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