とても小さなスロットマシンを床に置き小さなチェリー回す海の日 堂園昌彦
まず、目線の低さの徹底がある。「スロットマシン」は「とても小さ」く、「床」に直置きで、「チェリー」の図案といえばふつう小役だ。しかも、実際「回す」のはリールであり、同時に回っている大物役の図案とのぐしゃっとなった残像を見て、あえて「チェリー」に着目していることになる。ここまで徹底されると、慎ましさとは逆のある種の苛烈さを感じてしまう。一発逆転の大物役を狙わず、小役を拾い続けることは、わりとしんどい。しかし、しんどさのなかに歓びもみえる。本当は大物役を狙いたいが仕方なく小役をねらっている、というわけではないのだ。「とても小さなスロットマシーン」のチェリーは「とてもとても小さい」はずだが、ここでは「小さい」となっていて、筐体とチェリーの大きさが逆転している。拾うべき小役は小さいが小さくない。「海の日」、これから季節は盛夏へと向かう。
(堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』、港の人、2013年)

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