春寒の摩天樓より人墜ちて何のひびきもなし 墜ちなほせ 塚本邦雄
春、ぶり返した寒さのなか、ひとつの身投げがある。しかし、都心の雑音にかき消され世界はなにごともなかったように続いていく。主体はそれでいいのかと死者に呼びかけるのだ。「墜ちなほせ」。誰が読んでもそれほど意味はぶれない歌だと思う。
死を悼むでもなく、世界の酷薄さを嘆くでもない、文字通り死者をむち打つような歌。それにしても、最終句の呼びかけの無理さにくらくらする。まず、ふつう落ち直せない。無茶ぶりだ。ただ、短歌の言葉は一首の中で閉じる傾向がある。下まで読んだ後、上に返って読むことを強いられる。ふたたび、一首の中で身を投げられるのだ。するともうひとつの無理さこそが際立ってくる。そもそも、世界に「ひびき」を与えるように落ちることなどできるのだろうかと。「何のひびきもな」いならば、ふたたびこの言葉がかけられる。「墜ちなほせ」。死をもってしても世界に「ひびき」を与えられないことを強く印象づける歌だから、逆説的に生きろって歌なんでしょ、とは読んではいけない。「墜ちなほせ」って言ってんだから落ち直すのだ、何百回でも、何万回でも。何万回目に奇跡は起きるかもしれない、そのときまで主体はつきあってくれる、何万回でも。この歌は呪いかもしれない。だけどなんてやさしい呪いなんだろうと思う。
(塚本邦雄『汨羅變』短歌研究社、1997年)

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