親の本音はこれだ。
「学校へは行ったほうが将来の選択肢が増える。」
確かにそうだ。
未来のために、将来のために、
ここは頑張って学校へ行こうじゃないか。勉強しようじゃないか。
笑顔の裏にある親の焦燥感は半端じゃない。
但し、これは、学校へ行くことに疑問のない子、
その「心のエネルギー」が切れてない子供に
言えばいい。
青い空を見て、楽しい気持ちになれる。
美しい花を見て、奇麗だと思える。
そう思えない 「 今 」が存在していて、
どうして、未来など考えられる。
ましてや 不登校に縁がある方の多くの子供は、
その 「 今 」に思い悩む日々を送ってるのではないか。
未来や将来のために「 今 」を頑張った故に、
エネルギー切れしてしまう子供が多くいる。
娘さんが、
「学校へはなんのために?・・・っていうのがほしい。」 そう言って学校へ
行けないことを泣く。 実に聡明で当たり前。
学校へ行くのはなんのため?勉強をするのはなんのため?の問いの
答えは、あるようで ないからだ。
社会性が身につくから、友達ができるから、と真面目に答えようとする親。
それだけを目的とするなら、本気でそういう環境の場所を提供すればいい。
それでも、ちょっと賢い親ならば、
「 人間には、嫌でもやらなきゃいけない時期ってあるんだよ。理由なんかないものでもさ。」と言うだろう。
それでも、耳を貸せない時期、学校を拒否する子供、あるいは行きたくても行けない時期がある。
高校留年に思い悩んでるお母さん。
全然大したことない。どんな理由にしろ、留年することで、人生でのまた違った勉強をする。
親の目から見て、してないように見えていても
実はせざるをえないようになっている。
留年を繰り返し、結果的に退学になっても、人生において正しい、間違いなどない。
その子が、自立して大きな目で過去を振り返ったとき過去を悔いるなら、それもまた他の者が得ることがなかった、どでかい勉強なのだ。
思春期は常に、疑問や不安を抱く時期。
発端はなんだったのだろうと、理由を探ってみても仕方ない。
子供の様子に、一日要らぬ気を配りながら、
彼らの言動に一喜一憂するのはわかる。
だが、
わたしのせいね、と自分を責める暇があるなら、
バカ笑いをして一日を過ごすことを努めるがいい。
子供は、楽しい大人が好きだ。
楽しいエネルギッシュな大人になりたい。
「 人生の勉強のため 」
一瞬、誤作動のようなものが起こると思えばいい。
思春期の子供は、いろんな「気づき」の中に、いろんな現象を起こして当たり前なのだから。
だから、
将来の選択肢が増えるから、と、学校へ行ったほうがいいなどと、
世間一般の常識を親が捨ててあげるだけで、
子供の気持ちが救われることがあるのではないかと思う。
そんな言葉こそが、悩める少年少女の胸の中に、
一種の強迫観念に似た思いとして居座るのではないのだろうか。
「眠れない。眠れないよ、お母さん。。。」
「眠らなきゃ、明日の体調に響くわよ! さぁ、目をつぶって!楽しいこと考えてごらん・・・」
「眠れない、眠れないよ、お母さん。。。」
「あーわかるわかる!一日二日眠らなくても死なないのよ、無理して眠らなくてもいい^^」
結局は眠れない夜なのだ。
だから、子供は、「 今 」を受け止めてくれる後者のお母さんの言葉によって救われる。
実際は親の吐く言葉はこの中間が多いと思う。
「無理して眠らなくても・・・でもね、ちょっとだけでも眠ったら疲れがとれるから。」
眠らなくても全然困らないぞ〜が言えない。
仏教での言葉。
世間のものさしを持つと、
どうしてもこだわったりする。
そしてそれに苦しむ。
しかし、
ほとけのものさしを持てば、
心はいつも平安である。
なぜなら、そのものさしは、
「すべてがすばらしい」というものだから。
ちなみにわたしは無宗教。
世間一般の妙な常識やらに、執着することから
離れることは大事だ。
親が、心底ね。
<以前 わたしが思春期ブルーに書き込みしたものです。>

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