仏教では「奇跡」はないとしている。
般若心経は仏教のエッセンスでもある。
しかし、世界中の人が「奇跡」を願う。
彼岸に渡るには、「 智慧 」より他ならない。
「 智慧 」を知る者は、皆が言う
「奇跡」に近い ものを 手に入れるのかもしれない。
子を失った母と釈迦の会話
母「辛ぅございます!」
釈「何がそなたを苦しめるのだ?」
母「子を失ってしまいました、死にとぅございます。」
釈「わたしに何を願う」
母「子を生き返らせて欲しく思います」
釈「なるほど、さすれば、そなたは、苦しみから解放されるのだな」
母「さようでございます。なんでもいたします。
苦しくて苦しくて、耐えられません。」
釈「よし、ならば、叶えてあげよう、ここに赤い実がある。珍しい実だ。この実と同じ物を探して来なさい。」
子を失った母は、素足で着の身着のまま、わが子の生き返りを信じながら、その赤い実を捜す旅に出る。
そして、年月が経ち、その母親は 釈迦の前に再び姿を現わす。
釈「赤い実は見つかったのか」
母「いいえ、見つかりませんでした。」
釈「ほぉ、それでは 子を生き返らせることができないが。」
母「はい、わかっています。」
釈「それで よいのか」
母「行く方々で、同じように、子どもを失くした母親に会いました。
彼女たちに赤い実の理由を話すことさえも できません。
ですが、 彼女たちは、一生懸命探してさえくれました。」
釈「しかし、そなたは 苦痛から逃れたいはずだ」
母「はい、そう思っておりました。ですが、子供を失っても彼女たちは
笑顔で生活されて、日々、精進されておりました。」
釈「ほぉ、というと、そなたは、子どもを生き返らせなくてもよいのか」
母「お釈迦さま、死んだ者が生き返ることはありません。
それを知りました。また、その後、どういう生き方をするかを
子どもの魂が見ているかということも 知りました。
釈「ならば、苦痛から、もはや解放されたのであるな。」
母「はい。苦痛などございません。」
釈「よくぞ、悟ったな。
奇跡などは 起きぬ。
智慧をもって、彼岸によくぞ 渡った。」
赤い実などもともと存在しない。
釈迦は自分自身の「智慧」で悟ること教える。
苦痛から逃れたい、死にたいなどと思うこともあるかもしれない。
しかし、奇跡はない。
物事の理を悟り、適切に処理できる能力を、人間には
与えられている。この「智慧」を使わずして、苦痛だ、死にたい
などと叫ぶのは怠慢であるかもしれない。
だが、人は本当に苦しい時期がある。頭を働かすことも容易ではない。
そこをどう抜け出していくか、これはおのおのへの「課題」になる。
また 苦痛を繰り返す人、本来の 最高の「智慧」を使うことで
真理を知ることができ、人生も豊かになるのでは、と思う。
殻から抜け出し、本来あるべき 姿に変えられればと願う。
今回は、仏教を通して、わたしも、過去になるほどぉーと
学んだものです。
人生はね、苦しくもありますが、楽しいものなのデス。^^

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